先週、いや9月初め、いや、もっと前…8月あたりからちょくちょく、なにか楽しいことをしようと思いついてもそれにブレーキを掛ける自分に気づいていました。
なんでかなあと思ったんだけど、
やっぱり過去に縛られているんでしょうね。
あー、幸せ~♪
とうっとりしていると、襖がピシャ!と閉められたり、または誰かが、
いきなり怒鳴りつけるという過去が。
結婚生活だけじゃなくて、子どもの頃から怒鳴る人がつねにいる生活だったので、
私のしあわせになるのがおそろしい症候群は筋金入りです。
祖父も父も、仕事を何十年も続けて、貧乏な家だったのに私も弟も短大・高専まで出してもらって、まことに有り難かったんですけど、
怒鳴られない日はなかった気がする。中学くらいまでですけどね。子どもは怒鳴って育てるもんだという強迫観念でもあったんでしょうか。怒鳴る祖父に育てられた母は、外面は大人しい人だがやっぱり怒鳴る親だったなあ。女だから甲高い声でキーキー言うのがすっごくいやだったが、いま私がそれだ。あーいやね。
会社員勤めをしていた時、ワンマンにあたる率が非常に高くて、いやその前の公務員時代もワンマン校長にあたったな。私は気に入られていたんだが(なぜか!)教頭先生がやり玉に挙げられてノイローゼで入院したもんね。その時は自分は大丈夫だと思っていたけど、ひとがやられているのを見るのもやっぱりあとあと響いてくるもんだなと思う。
怒鳴る親やボスや夫にあたる確率が非常に高い人生を送ってきたので、
いまだに誰かに怒鳴られそうで落ち着かない。
私が新聞を取らないのは知らない人がいきなり来るのが怖いからだ。
新聞勧誘の人は非常に図々しい人が多くて、近所のものですなんて嘘を平気でついて
とにかく玄関を開けさせようとするからね。
そして一度取るとしぶとくしぶとくつきまとうのだ。
という長い前ふりのあとに、
きょうこそ映画を見てくるったら見てくるのよ!
(それと自分を大切にすることがどんな関係…いや、映画に限らないがなにかでいい気分になっているといつもどこからか、怒鳴る声が落ちてくるんじゃないかと一抹の恐怖があるんですよね…経験のない人にはいくら言っても理解してもらえない恐怖症なので黙っていましたが、どこかでだれかが救われることもあるかと思い書いてみました。まあどう思われようとこれも私なのでいいですよ)