ひとりなのに友(達)というのはなんでだろうと思ったことはありませんか。
私はあります。
いやたいていのひとはつねに複数の友達がいるから、単数形・友は論外なのか?
私は幼年時代から高校まで友達は主にひとりで、親しく口を利くクラスメートは複数いても、
友達っていうのはもっと深くつきあうものである。そうなんである。と思っていました。
しかし深い付き合いというのは男女でもそうなのかもしれないが、互いを深く思いやり合うような気もするが、
相手を傷つけることに鈍感になったり、だんだん、腐れ縁というか腐っていくものなのですね。
そうじゃない付き合い方もあるんだろうが、私たちはそうだった。
そのあたりから複数形の友達っていう言葉は意味があるんだなーと思うように。
ひとりの友達にすべてを求めてはいけない。
つねに優しく、つねにフェアで、つねにこちらの話を聞き、つねに自分と趣味が合い、意見が合い、支持政党もおなじで、考えも、すきなたべものも、きらいな音も、すきな言葉も、きらいな映画も、
すべてが一致するひとなんてこの世にいない。
ということに気づいたのが遅かった(笑)。一致する点がひとつあり、気が合えば友達でいいんだと思う。
息子は去年まで、すべてが自分とおなじ双子の弟がほしいとよく言っていたけど、最近言わなくなったので、
なんで?と聞いたら、
ひとりのほうがいい、
と言っていたです。
すべておなじ好みでおなじ考えの弟と家でずっとしゃべってずっとゲームをして遊んでいたかったらしいですが、そんな弟より、一人っ子として可愛がられているほうがいいらしいです。
自分がひとりしかいないということに気づくの、私遅すぎ(笑)。