日常、ちらっとよぎったことをしばらくすると忘れてしまう。
思い出したタイミングでブログに書けるとスッキリする。
おととい、岩大の裏門(なのか?)の前にアメリカンショートヘアの雑種っぽい猫がちょこん、と座っていました。
おお、これは植物園へいらっしゃい、という招き猫、と思って入ったわけですが、
きょうもいましたよ、ちがう猫ですが。和猫で首におしゃれな布を巻いていて、鏡餅みたいにどっしりしておった。白猫で頭にベレーみたいなキジトラ模様がのっかっているの。
あしたもいるんじゃないか。
なにかこう、賢治の童話のようでもある。さすが岩大。
あー、一昨日書こうと思って忘れていたので、きょう書くことができてスッキリした。
もうひとつ、どうして私はある種のタイプの人々の物言いに反発するのかということ。
例えのひとつにすぎないのだけれど、きのう、実家で父の薬の服用忘れの話になって、
ケアマネージャーさんが訪問したときに、そっくりそのまま、脳血栓の薬が1か月分飲み忘れて
いるのが発見されたというわけだ。
それについてはよく発見してくれました、という以上の感慨はない。
で、どうするかということになり、
病院の先生に行って、いま3種類の薬を出されているわけだが、それを「分包」というやり方で、
一度に3種の薬がひとつの袋から飲めるように処方してもらえるよう、話したらどうか、ということに。
誰が行くんですか?
にこにこするケアマネージャーとヘルパーさん。
もちろん私なのですが、毎回このように、さりげなーく、
誘導されて動かされている感じになるのが不愉快なのだった。
電話じゃダメなんですかね?
どうやらダメのようだ。
二人の根底に娘さんなんだからそのくらい当然でしょ、というのが
見え隠れどころかはっきりあって、それがまた不快。
というのも。
母が難病でけっきょく口からの栄養が採れなくなって、胃瘻の手術をして
その後実家で介護ということになったわけですが、
当時私は実家から200km離れた青森に住んでいて、冬だった。
当然、実家にいっぱなしで介護するじゃないですか。
1週間に一度、200kmを往復して青森の社宅の掃除や料理のまとめづくりを
して不機嫌な夫に背を向けてまた帰ってくるわけですよ。当時1歳半の子どもをつれて。
その間も親戚や母のきょうだいたちの問題もあり、くたくたを通り越してなにも感じないようになり、聴覚がおかしくなった。
その時もはじまりは親戚のおばさんの電話からで、
初代ちゃんが長女なんだから。
でした。
ケアマネージャーやヘルパーさんは女性ですが、
(ここまでなんの疑いもなく女性だと思って読んでこられたと思いますが、
その認識もいろいろ問題があるかもしれないし、気にしなくてもいいのかもしれない)
女性だからなのか、
長女がいるなら長女に全部やってもらわなくては。
という感じがあって、それがたまらなく憂鬱。
なぜ、女性による女性への、こうあるべきプレッシャーはなくならないのか。
まー、結局次回の病院つきそいもやることになりました。
一往復なんだかんだ、4時間費やされます。
私は自分の時間を他人にいいように使われることが嫌なんだと思う。
誰に聞いてもらってもいいが、私はいろんな場面で骨惜しみせずよく
働くひとなので、けっして労力の問題じゃないんです。
盛岡からなら来られるでしょ?
月に何回来ているんですか?
こういう言説が不快なのは、
…自分の時間をぞんざいに扱われることは、
自分という人間をまったく取るに足らないもののように
扱われているのとおんなじことだからだ。
それは前の結婚生活で8年間経験したので、これ以上自分の
時間をすこしでも損ないたくないわけ。
以上雑感でした。