朝4時から7時くらいまで、
萬鉄五郎さん研究(笑)。付け焼き刃みたいだけど、これでも去年からコツコツと萬鉄五郎さんについての本や美術展はみてきており、
ただ解説するのにどうまとめようかなあと。
萬鉄五郎さんのちょう有名作品、「裸体美人」。
はじめて見たとき、すごい鮮やかな色だな~と思ったんだけど、
いろんな図録やテキストでみると、腰に巻いた赤い布も、ピンクのつよい肌も、ゴッホか?ってくらい生々しく強い輝きの草も、いかさないの(笑)。
「フランシス・ベーコン展」で行った東京国立近代美術館は、フラッシュじゃなければ撮影OKの作品があるので、
撮ってきました。鮮やかだったーやっぱり。
萬鉄五郎のおそらく最も有名なこの作品は東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)の卒業制作に「自画像」とともに出されたもので、
点数は73点。いいじゃん別に、と思うけど19人中16位の評価だったそうです。
東京美術学校には1番で入って、級長を何度も務めた優等生の萬鉄五郎の「卒業」でした。
ちなみに卒業式を何人かの友達とボイコットし、画家を貫くために教員免許状も受け取らず。
この支配からの~卒業~♪
べつに黒田清輝先生に反発してという単純なことではないと思う。当時の黒田清輝を代表とする日本洋画界全体への挑戦状…?
黒田清輝先生もフランスがえりで最先端の印象派のなかでも戸外の光の中で描く外光派という観念を日本に持ち帰り、
日本近代洋画界を牽引していたわけで、そこにあったのは旧来のものへの挑戦だったのでしょう。
学校としての評価は低かったですが、黒田清輝先生は萬鉄五郎の実力をみとめている発言を彼の同級生に語っているようです。
しかし、
これは私も美術館で解説を受けた時に知って驚いたのは、
萬さんこのとき27歳(誕生日がくれば)。えっ!卒業制作っていうから22歳かと思ってたわ。
すでに妻子持ち。えっ!
モデルは奥さんのよ志さん。○○小町と言われて彼女に好意を持っていた男性たちから妬まれたもよう。
この「裸体美人」、下書き(萬さんは何枚もの下書きや習作を描くひとだった)では戸板にモデルを寝かせて、それを斜めにして描いている。ずり落ちそうな不安定な姿勢。
…と「裸体美人」について勉強しても、きょう解説する絵ではないのでした。
でもまあ、調べれば調べるほど、え!となったり、共感できたりでおもしろいです。
「赤い目の自画像」、岩手県立美術館の「顔」的な作品ではないでしょうか。
私は長い間萬鉄五郎のこの作品だけをじーっとみて、ほかの作品はわっからないなあ、という状態だったです。
それが学芸員さんや解説ボランティアの方の解説をきいているうちに、
萬鉄五郎展示室全体の絵に興味が出てきて、
最初は全然受け容れられなかった、
萬さんの絶筆のこの絵もすごくすきです。
この絵の前にいく枚もの下絵というか習作があるのですが、死期が近いことを知っていて、それでも描かずにはいられなかったものがあったのだと思います。
持っているのは宝珠であります。
しかし、なんにもわからなかった頃、
「パリスの審判」?とか思ってました(笑)。
このポーズや宝珠を持っていることなどから、鉄五郎の郷里・土沢の仁王像ではないかという解釈があり、
前年、同じく肺結核で亡くなった登美(とみ子は通称で、幼いとみ子を描いた作品も県美に所蔵されていて、これもすきな作品です)の快癒を願って描いていたため、
愛娘の死に力を落として未完のままだという方もいて、
知れば知るほど、萬鉄五郎の深みにはまりそうです。
こちらも御本尊は東京国立近代美術館にある、「もたれてたつ人」の習作ですが、
日本の本格的なキュビズムの絵として知られる絵ですが、萬鉄五郎の言葉に、
模倣を恐れてはいけない、というものがあります。影響されても模倣をしたと言われても、
絵はその人がまるごと出るものだから、おそれることなく描くことだ、というような意味の言葉があります。
(大意はそうですが、正確な引用じゃないです)
西洋のキュビズムに影響をうけたとしても、この赤黒い肉体や、日本人的な胴長で頭の大きい、腕や足の短い体型。
突き詰めた暗さと、突き抜けたユーモア、謳歌と内省が同時にあるような絵で、これもすきな作品です。
萬鉄五郎展示室も展示替えがあり、いつも会える絵ばかりではないのですが、
きょうは早めに行って、若冲さんを見て萬鉄五郎展示室をじっくりみて、
またシナリオを練ろうと思います。
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