盛岡劇場タウンホールの中央に囲炉裏のセットがあり、
火の番の老爺がいて、
そこに声をかけてくる十手持ち、
訳ありの若い男、
の三人の芝居。
照明や雪の降らせ方や、演じる役者さんたちから、
歌舞伎みたい、と思っていたのですが、
うちに帰って検索したところ、
初演は大正12年、帝国劇場。
金次郎(若い男)を六代目尾上菊五郎、
火の番を四代目尾上松助、
捕吏を十三代目守田勘弥が演じ、
イギリスのハロルド・チャピンの作品の設定を幕末の江戸に置きかえた翻案劇で、新歌舞伎というジャンルの幅の広さがうかがえる作品である。
って日本ペンクラブの電子文藝館で戯曲も読んでしまいました。
タイトルに「息子」とあるし、なにかスネに傷のありそうな若い男が火の番の爺さんの息子なんだろうな、
と見当がつくのですが、お話の行き付くところは想像できるのに、
仕草や間、表情がひとつひとつビシッと決まっていて、かっこよかった。
歌舞伎みたいだと思ったけれど、実際に新歌舞伎だったのですね。
たまたまチラシに鬼澤たか子さんという名前を見つけて、
あ、「ともことサマーキャンプ」に出演していた方では~と思ったのが見にきたきっかけですが、
舞台演出が鬼澤さんでした。
小山内薫の戯曲を読んでいたら、あの息子と、そうとは知らない年老いた父親のやり取りが耳にこだまするようでした。
みなに期待されていた利発な息子が故郷を離れて9年、
父親は火の番をしながら便りのない息子の出世を信じており、
その息子はしくじりや躓きがあって、世間に後ろめたい人生を歩いている。
自分が息子だとは打ち明けられない男は、
父親にもしもあんたの息子が落ちぶれ、牢屋に入ったりして来たら、
と切迫した調子で訊くが、息子を信じ切っている火の番は相手にしない。どころか、息子にケチでもつけるのかとばかりの勢い。
最後に名乗れないまま、父に別れをちいさく呟いて男は去る。
十手持ちの男のちょっと洒脱な感じと、爺さんの頑固で素朴な人柄、横顔がことに整った若い男の思いつめたセリフまわし、
キチッとした芝居をみたなあという印象でした。
小さなことですが、囲炉裏のセットがよくできていて、火を熾すとまさか実際に火は使えないはずだけど、
オレンジ色がつよくなり、
どうやっているのか謎ですが、そういうところが案外重要なのかもしれない。
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