「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」
やっぱり映画を選ぶ決め手は上映時間っすね!
映画としてもおもしろい作り方なんだけど、なにより、ダイアナの作ったヴォーグのページがどれもこれもすばらしくて。
あれ?ヴォーグってファッション雑誌じゃなかったっけ?
と思うほどで。
ぜひご紹介したいところですが、パンフレットは表紙以外はほぼ文字ばかりでして。
あのページを大きなスクリーンで見るのは楽しかった。
ダイアナ・ヴリーランドが言っている、「目の旅」
ってこういうこと?と思ったくらい。
斬新なアイディアとか鋭いセンスばかりではなく、
ダイアナがモデルの欠点を個性に、または最高の武器にしてしまう眼力もすごかった。
そんな彼女の幼少時はあのニジンスキーやディアギレフが家に遊びにきたり、
(モノクロフィルムとはいえ、「薔薇の精」のニジンスキーをみられてうれしかった)
パリに生まれて、姉妹(ダイアナには4つ違いの妹がいた)に毎晩舞台を見せてくれる両親。
ジョージ5世の戴冠式をみせるために、姉妹をロンドンに送り込んだ、
ってすごいなあ。
パリに生まれ、ベル・エポックの空気の中で育ち、しあわせそうじゃないですか、
と思いきや、彼女にはこの遺書ともいうべきDVDの撮影のためのインタビューであっても、決して深く語ろうとしないことがあった。
それは気性のはげしい母親から小さな醜いモンスターと言われ、美しい妹と愛情の差別をされていたこと。
ダイアナは美人じゃないのかもしれないけれど、バレエを習っていたことが物をいうのか、身のこなしがドラマティックで細くて長い手足や、手の表情の豊かさなど、
独特のエレガンスを持っているのに、それでも自分と母親の間にあったものについてはいまだに固いものが心に残っているのだ。
そのことは話したくない、という感じ。
ダイアナは1903年生まれで、森茉莉と同じなんだけど、
森茉莉の場合は差別されたのは6歳違いの妹で、お出かけというと綺麗にお化粧されて着物も特別誂えの姉と、放ぎみの野生児の妹…。
ダイアナのお母さんはサイ狩をするような気性のはげしいひとだったそうですが、お母さんって娘との距離の取り方が下手な人が多いのだろうか。
ファッションについてだけではなく、
彼女の言葉もまた攻撃的なエレガンス。
「スタイルこそすべて」
「いい人生は1つだけ。自ら望み、自ら創る」
真っ赤なインテリアで統一されたダイアナの部屋の映画ポスターを見た時は、
(きっとこの女性は妄想の中で美を生きたひとなんだ。
この美しく見える部屋は実は拾ってきたものやもらったものばかり、
でも彼女のたくましい想像力がここを豪華な赤い部屋にしている、
で、そんな不思議な女性がいると評判になって撮られたドキュメンタリー)
…惜しいなあ(笑)。
ダイアナの言葉には共感できるものがいっぱいあったけれど、
彼女はロシアのバレエがすきで、ロシアを愛しているがゆえに、ロシアには行きたくないというわけ。インドも自分の想像したインドが壊れるから行かないと。
事実を知るより、自分のイマジネーションをどこまで羽ばたかせられるか。
ほんとにいい映画だったー。
あまりすきな言い方ではないけれど、
元気を与えてくれるというのでしょうか。
見たあとは猛スピードで自転車を飛ばしましたよ。
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