横尾忠則さんの服は、三宅一生さんから贈られる派手なシャツが多い、
と「隠居宣言」にあったのですが
その一生さんとの対談も興味深かったです。
「僕は広島ですから、倉敷の大原美術館よく行っていました」
という言葉で、蘇る大原美術館の記憶。
こちらからすると、まず滅多に行かれない大原美術館によく行っていたなんて、そこからしてちがうなあ。
横尾忠則少年と共通の趣味があって、宝塚をよく見ていたんですよ、
と。大阪まで出てきていたの?と聞かれて、
広島でも公演がよくあって、被爆都市ということで市民を励まそうということだったんじゃないでしょうか、
と振り返る三宅一生さん。
私は三宅一生についてあまり知らなくて、いやファッション全般についてそうなんだけど、
以前、高田賢三とコシノジュンコと金子功の三人が同級生として文化服装学院で出会い、
卒業しそれぞれの道を歩き出すまでのドラマを見たことがあったけど、
そのくらいでして。
1938年生まれの三宅一生さんは子ども時代、お姉さんの影響で宝塚を見たり、オーダーメイドでお洒落をしたり、
一方で、
生涯の中で一番鮮烈なのが原爆の体験で、その時の身体感覚は身体に残っている、ぐわっと力で押されるような感じが、と。
いままで(対談は2000年)は体験と表現を結びつけたくなかったから自分が原爆を体験しているというのもあえて言わなかった、
しかし、過去は過去として区切りをつけた上で、あらためて自分にどういうことができるかを真剣に考えている、と。
イサム・ノグチやルーシー・リーや横尾忠則さんの仕事を見て、個で仕事をする重要性を感じた、
という言葉や、
ふつうの街中にいるひとの感覚を取り戻すことからやってみようと思う、
という言葉が印象に残りました。
イサム・ノグチや
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