「温泉主義」横尾忠則温泉(新潮社) 2008年
温泉に行く度に湯あたりして発熱する。温泉は苦手だった横尾忠則が温泉を描く紀行文の連載を引き受け、
次第に独自の温泉地の楽しみを追求して行く。
いろんな楽しみ方のできる本で、横尾忠則の温泉絵画集としても、
紀行文としてももちろんだが、
横尾忠則はこうやって絵を描いているという画家の思想というか、考え方の水路を垣間見せてくれたり、
ふと新婚旅行の思い出が蘇り、ごく近場に一泊でホテルか旅館かで現地で妻とケンカしたが、50年も続いているんだな、という半世紀のワープにも惹かれる。
温泉に行くと過去と現在、観光地のあれこれや、
かの地の偉人や風光が混沌としてくるものかも。
カヴァーを外すと表紙は宮澤賢治で、もちろん花巻温泉の回の絵だが未完である。
「どうでもいいやんけ」という気分が強くなり、締め切りを守ることに窮々としたりしない。自由に描きたいものを描く。
絵はオリジナルでなければならない、という不自由な考えにも縛られない。
この本は「横尾忠則ポスター展」記念イベントである講演というよりトークショーなのだが、
その際に買ったもので、
子ども時代から画家になるまで、画家としてのいままでの仕事や交流などの話の中で、
子ども時代から絵とはすでにある名画(だったか完成されただったか)を模倣、あるいは真似るものだと思っていて、
オリジナルなものを描けという意味がわからないと(笑)。
模倣についての考察を長く話したりしないで、端的にそう話すところが感じ良かった。
で、図録やポスター集でもなく「温泉主義」にしたわけですが、
ほんとうにいろんなおもしろいが重なり合っていて読みでがある。
自分もいったことのある、
花巻温泉や箱根温泉や秋保温泉、鬼怒川温泉、
福井には行ったけれど、恐竜博物館だけだったなーと思いつつ芦原温泉の絵画をみればちゃんと恐竜がいますよ。
そういうのもいいし、
「世間のスピード感に逆行しているのはちょっといい気分でもある」と陸路を5時間もかけて四国までやってきたり。
道後温泉の絵は漱石の「坊っちゃん」ではなく、「怪人二十面相道後に現る」である。マッチ箱のような汽車のアナロジーであるマッチ箱から現る二十面相。
漱石が小説の中で松山の悪口を手当たり次第に言っているのに松山のひとは漱石をこんなに愛して、世界中が松山市民のようだったら世界も平和なのに、と。
横尾忠則のなかにはすべてを無心に眺めておもしろがっている子どもがいて、
老境時間の過ごし方をおもしろがっているところもある。
温泉の本というと、もっと温泉の効用や風光や宿の女中さんや女将さんとのやりとりや、
ほかの温泉客とのふれあいやその土地ならではの料理や土地の人とのかいわなどがメインのような気がするし、
そういうエピソードもあるはずだが、
私は横尾忠則の感じ方や見方や、絵の発想をよむ本としてよみ、
ついで、
那須塩原に行ったらニキ美術館だな、
と思ったんでした。
この本を買って後悔したことは一度だってない(笑)。
iPhoneからの投稿