「泣き虫なまいき石川啄木」井上ひさし(新潮社)
読み終わってふと、
制作に井上好子さんの名前を認め、
調べたらお二人が離婚した前年の公演だったのですね。
それと作品は無関係と考えるべきなんでしょうが、
高校時代、井上家の作家のお父さん、下町育ちのチャキチャキしたお母さん、ふたりに愛され慈しまれて育つ三姉妹、
と思って読んでいた「家庭口論」や、
離婚後に西館好子さんが出した「修羅の棲む家」ひさしさん没後に出された「表裏井上ひさし協奏曲」、末娘の麻矢さんの「激突家族 井上家に生まれて」などを重ねてしまう。
(気がついたら家族の書いたものまで読んでいたんですが、ハタチ以降は熱心な読者じゃなかったので、自分でも意外でした)
妻節子と母カツの対立、というよりカツの一(啄木)可愛さのあまりの嫁憎さ、
節子の貧しさのあまりの不貞、
一が相談した親友金田一京介も同時期に妻が浮気をしていたことを知り、
ここは喜劇になっていくのですが、
一の死後の海辺で焼いてくれと託されてしまった十五冊もの日記を抱えて途方に暮れていた節子が、
その二日後、
やっぱりこの日記は焼いてはいけない、と
「この中さ夫が居る、トドサマが居で、カガサマが居る。
なによりかにより、この中さわだすが居る。だはんて焼いだら、皆、居ねぐなつてしまふ。おら、もう一回、夫さ叛ぐもの。一ちや、堪忍してケダンセ!」
散らばった日記を這いずりまわって拾い集める場面で舞台は幕を下ろします。
啄木にひさしを、節子に好子さんを、カツにマス(「人生はガタゴト列車に乗って…」も読んでいる。だんだん井上ひさしの熱心なファンだった錯覚に。でもひさしさんの書いた「マス女烈伝」(タイトルうろおぼえ)のお母さん像はすきだったなあ)を重ねてしまうのは私だけではないのでは…。
あさって見る予定の劇はそんな啄木が長生きをしていたらどんなふうに、
という、いわば、
「泣き虫なまいき石川啄木」の陽画であります。
果たして予習になったのでしょうか。
これを機に読んでいなかった井上ひさしの戯曲をよみはじめてみようと思います。
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