図書館から家族全員のカードで本を借りて、
3冊×6人=18冊を徒歩で担いで往復していた小学生時代にすでに私の体の歪みは始まっていたんだろうなあとふと思った。
自転車に乗れるようになった頃は夜更かし朝寝坊の始まりでもあり、
本があるかぎり健全な生活は綻びちゃうんだなあ。
向田邦子のエッセイも一見きちんと躾けられたしっかりものの長女が、
寂しかった寂しかった夢の続きをはじめましょう(中島みゆき「誘惑」)と歌っているような、
明暗のつづれ織のようだ。
エッセイのタイトルにもなっている冒頭の「父の詫び状」、
「くにこ」では父の愛人騒動を自身の秘めた恋に胸を刺されながら、
元の鞘に収めたくにこに、父が手紙ではなく、
手をつきそれこそ平伏して言うのである。
「この度は格別の御働き」
向田邦子の「夜中の薔薇」のなかの「手袋をさがす」も図書館でそこだけ読み直し、印象をたしかめてきた。審美家の苦悩とばかり受け取っていたエピソードは、
求めても求めても手に入らないものを訴えている子どものようだった。しっかりもの、世話好きでおっちょこちょい、姉御肌。
向田邦子の料理も真似てつくり、クロワッサンのグラビアで趣味のいい部屋と食器にぽかんとしたものだ。
なんてすてきな自立した大人の女!
しかし、彼女の内面には父に認められたい、誰かに価値を認めてほしいという小さな少女がずっといたように思える。
彼女のエッセイの文章の流れが岩に当たって砕けてまたもとに戻るような、
不思議な捩れをみせるのは、二面性と無関係ではないでしょう。
その不安や孤独感や焦燥が向田邦子を魅力的に見せていた気がします。
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