紙になにかが印刷してあれば、なんて書いてあるかが気になる。
美術館や図書館、博物館には館同士の連携というのか、
ポスターやチラシやパンフレットが目眩むばかりにあり、
かならずもらってきます。
鮮やかな赤に惹かれてもらってきた寺山修司記念館のリーフレット。
青森県立美術館のギャラリーショップにもある「家出のするめ」はおいしいですよ。
お土産にしようと思って買ったのに、ついつい自家用にしてしまったくらい(笑)。
このネーミングセンスの自虐の笑いがたまらん。太宰治の「生まれて墨ませんべい」(烏賊墨せんべい)とか、
なんかこう、青森っぽいなあと思う。
昭和10年の冬に生まれたのはなんとなく覚えていたけど、
(「家出のすすめ」をはじめとして私の高校時代は寺山修司の文庫本が角川からワンさと出ていたのだ)
12月10日生まれだったんですね。
昭和十年十二月十日
ぼくは不完全な肉体として生まれ何十年かかって
完全な死体となるのである
寺山修司は1983年5月4日亡くなった。
来年で没後30年。
高校時代、澁澤龍彦とともに、不思議で奇妙で妖しいことをそっと教えてくれるおじさん、
という認識で読み耽っていましたが、
すでに私の方がよりおばさんだ。
完全な死体のまえに、
完全なおばさん、
完全なおばあさん、
完全な老人を目指したい。
三沢は岩手のわが家からしても遠いのですが、
近くに三沢航空科学館もあり、
米軍基地のある三沢ならではのエアフォースバーガーもあるのできっと息子が喜ぶであろう。
寺山修司を読みながら、キィーーーーー!となっていたことを思い出した。
お母さんの名前がハツさんなんですわ。
それがどうしたとお思いでしょうが、私は4歳からいまにいたるまで自分の名前と仲良くなれたためしがなく、
はっきり言って古臭い、親の鬱陶しいくらいの願いや欲望も感じられない、つまんない名前と思っていて、
自分よりはるかはるか前に生まれたひとの名前にハツとか初代とか出てくると、
キィーーーー!となっていたんですわ高校時代は特にね。
太宰治の最初の心中の相手の芸者が小山初代だったとか、なんで!と言いたかったなあ。
というようなことも思い出しつつ、いつか三沢に行ってみようと思います☆
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