萬鐵五郎 の名前を初めて知ったのは、二十年くらい前で東和町の萬鉄五郎記念美術館に行ったからで、
渡辺えり子の劇団3○○「月に眠る人」のポスターを描いた渡部満展が見たかったからで。
3○○のお芝居は山形であり、もちろん日帰りだったんだが
電車のなかで向かいの紳士に、芝居を見に行くのだと旅の理由を語ったら、
道楽だなあ、
と感に耐えぬように言われてうれしかった。
その後結婚し、転勤で盛岡に来てからはおもしろそうな企画展があれば東和町まで車でひとっぱしり。
また、当時は岩手県立美術館が近所だったのでベビーカー息子と美術館によく通った。
そんな割に、萬鐵五郎の名前をつよく意識したのはリニューアル前の東京都美術館の、公立美術館の各館箱入り娘を一堂に会した美術展で、
東京都近代美術館の「裸体美人」でした。
郡山市立美術館のバーン・ジョーンズとか、あれはほんとうにユニークでいい美術展だったなあ。
藤田嗣治もこの美術展でいいなあと思って現在に至る。
そこから県美の萬鉄五郎常設展示に目がひらき、
最初はこの「赤い目の自画像」がすきだった。派手だから(笑)。
その後、ボランティアや学芸員による解説を聞いてだんだん、この短い生涯にガラガラ作風を変えた画家に興味をもつように。
奥さんとは学生結婚だったとか、
(でも紆余曲があり、美術学校の生徒になったのが22歳で、本科卒業は27歳)
お嬢さんのとみ子さんは早逝なさったのだが、この背景は鉄五郎が影響を受けたマティスの「赤い部屋」のイメージに似ているとか、
だんだん、わかるにつれ、興味が出てきて、絵のひとつひとつを食い入るように見てしまったんですね。
それにしても、iPhoneで写真撮影したのですが(撮影OKのコーナーだった)、
いつもiPhoneに萬鉄五郎ってなんか贅沢。
これらの絵は最初からいいな、と思っていたものですが、
萬鉄五郎はこれだけじゃないのよ。「裸体美人」だけでもないし。「裸体美人」は実物をみるとあまりの肌のピンク加減に口あんぐりです。
ちなみに、卒業制作であります☆
iPhoneからの投稿