特撮博物館、最終日に行くことができてほんとうによかったなあ、
といまになってシミジミ思います。
昔の特撮への敬愛を感じて、こういう手描きの解説にしびれる。
特に特撮の美術倉庫が気に入って、あそこも撮影できたらうれしかったなあ。
ちょっと昭和のうちみたいだった(笑)。
うちって、実家のことですが、父が大工で祖父が板金をやっていたので、
道具小屋みたいなものがあって、飛行機がつるしてあったりはしないんだけど、なにか同じ匂いを感じたです(勝手に)。
もう亡くなった祖父ですが、障害があって(丙種と思われる)、戦争に行くかわりに一家で三鷹市に引っ越して、中島飛行場ではたらいていたそうです。
祖父のことは故人になったとはいえ、正直今でも尊敬できない(穏やかに言って)のですが、
特撮美術倉庫に入ったときの胸を締めつけるような気持ちは、
やっぱり私の育った環境に由来するものかもしれないです。
子ども時代は、自分の家がホワイトカラー(小学校の社会科でならった。ブルーカラーの由来は大人になってから知った)はなくて、ブルーカラーというのがいやでしたけどね。
ホワイトカラーで家に子供用の本棚もあるような家庭に憧れていたんです。
ええ、うちには大人用の本棚もなかったし、修羅の家ならぬ殺伐の家でした。
でも夕方のアニメやヒーローものを見るくらいは許されていたです。奨励はされないけどね。
いま私が息子と一緒にいろんなところに出かけるのは、
震災以降、離れ離れで死にたくない、という気持ちが強くなったからという他に
ほんとうは、こんなふうに親に自分の世界を知って欲しかった、一緒に出かけたり、話したりしたかった、
という子ども時代の自分のためであるような気もします。
いや、今思えば親は精一杯よくしてくれたんだと思うんですけどね、あの時代のあの状況で。
大人になって子ども時代の自分を扶けてやれるようになって、よかった。
って何の話じゃ(笑)
iPhoneからの投稿

