映画をみてから原作を読む、
「宇宙兄弟」もそうでしたが、映画もいいし、マンガの続きも気になります。
しかし、「ヘルタースケルター」はどうか。ハラハラ。
映画は色がやっぱりよかったんです。りりこのロマンティックで悪趣味でゴージャスな部屋は蜷川実花ならではだったと思いました。
でもやっぱり、この表情や独白は岡崎京子のものでしょう。
沢尻りりこはマンガのりりこよりも美しくきれいにメイクされていましたが、
この深い虚無感は醸し出せなかった。
「ただあたしは体を使って遊びたいのよ
んでもって他人をめちゃくちゃにして遊びたいだけ
だって仕方ないじゃない?
あたしだって他人にめちゃくちゃにされてるんだから」
他人とはもちろん、肉に骨格も目も鼻も埋もれていた元のりりこの奇跡のような骨格に惚れて全身整形でモデルにしてくれた事務所のママではないし、
重篤な副作用を承知しながらりりこに全身整形を施したドクターでもなく、
りりこが物語の終わりで、
「皆さん」と呼びかける、りりこのファンというより、りりこがなにかおもしろいことをするのを、
悪意とともに待ち望んでいる群衆のことだ。
マンガと映画がおなじことをやっている場面はつまらないのに、
ここでは映画は原作と袂を分かって、何百のフラッシュを浴びながら、
「最高のショウを 最高のサービスを」
成し遂げるりりこをみせてくれた。
(そこでやめりゃーいいのに、という意見をつきあいの少ないわたしでさえ3件得ました)
しかし、
私が全面的にこのマンガに満足したかといえばそれは。
連載が終わったのが1996年と編集部のあとがきにあり、
16年前だったらショッキングだったかもしれないいくつかのセリフも場面も行為も、
いまではさほどのインパクトを与えない。
整形についても、いまは全然印象がちがうんじゃないかなあ。テレビに出て整形して美しくなったわたくしを
「皆さん」にお見せしたいわあ、という番組も成立しているくらいだし。
映画では終始寒いポエムを連発し、
(わざと?ねえわざとなの?笑うところですよとかテロップにいれてくれ!)
とイライラさせてくれた麻田検事のりりこを語るこの言葉。
いろんな有名な映画女優の名前が挙げられ、りりこはイメージのモンタージュという麻田の言葉はそのまま、
私にはこの「ヘルタースケルター」そのもののことに思えるんですが。
片目を自ら抉り出し、海外に飛んだ(いろいろ無理の連発ですが、そこはマンガだからとのもう)りりこがフリークスショウに出演している場面。
りりこの事務所の後輩で人気でりりこを凌いだ吉川こずえがりりこをみて息を飲む、
というラストシーンは映画も同じですが、
マンガをここまで読んできた、りりこや描き手の岡崎京子からみた、
「皆さん」であるこちらとしては、
「これかい!!」
とガックリ脱力してしまうのだった。
この続きを描くつもりでいたところで交通事故に遭ったことを考えに入れても、
でも作品は作品で、
もっとグロテスクで一目みたらしばらくは厭世的になるような、それでいて頽廃美の極致でもあるような、
そんなりりこを描けなかったものか。
麻田がイメージのモンタージュというりりこにしても、それらの女優の半分しか知らない私にしても、
いや、
絵でそこまで納得させられていませんが?
とつい思っちゃう。
岡崎京子のなかではもっと大きな絵にしたかった「ヘルタースケルター」だったのかもしれないけれど、
イメージのモンタージュにしかみえなかった。いやモンタージュされていなかった。
「皆さん」のひとりである私がなんとなく期待していたのは、
フリークスショウの場面で、
全身整形の後遺症とともに生きている、腐乱死体のようでありながら、瞬間の美を垣間見せるりりこがダンスで仰け反り、
仰け反った首筋からも盛り上がった醜い肉塊がぷるぷるふるえ、
腕の肉も胸の肉も、溶け出すように垂れ下がったり揺れたりし、
それでも生きているりりこの哄笑と、
ショウに興奮した観客がバケツ一杯の豚の血をりりこの頭から浴びせる…
ってそれはキャリー。
まー、私なんかのイメージが貧困なのは仕方ないですが、
遠目からとはいえ、なんでもとの(片目は失ったけれど)完璧なりりこなわけ?と思ってしまったんでした。
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