若い頃は、
小説の中のことは小説の中のことで、
それを自分の人生に当てはめて考えたりするのは、
邪道。
と思い、
純文学街道を突っ走っていたのである。
フランツ・カフカみたいな小説こそが小説で、
日本のじめじめした私小説路線は唾棄すべき存在であった。
30年後のいま、
私は遺伝性の難病(ミトコンドリア症)の母親の介護も、
離婚も(ということは結婚も)、
発達障害の息子との母子家庭、
という母子家庭ランキング最下位から2番めも、
(私自身は母子家庭というか、息子とふたりになってからの方が生きている実感があり、
母子家庭ランキングについては関知しない。
しかし、
1 死別
2 離婚
3 非婚
というような母子家庭ランキングはあるのである。
母子家庭になって間もない頃、母子家庭支援のパソコン教室に通って、
そこのフォーラムかなにかで覚えた)
それがなんぼのもんじゃい!
と思う。
己に重ね合わせて読んでもいいじゃない。と開き直っている。
結婚していなくても、
離婚していなくても、
母親の老醜や死を経験していなくても、
小説は読めるのだが、
でもこれは新聞小説でしょう。
主人公がひとは胃瘻とか経鼻とか、いろんな言葉にすぐに慣れるものなのだなあ、と思う場面があって、
母の胃瘻も自宅での介護や誤嚥性肺炎(おそらく)などを経験しているので、
もちろん重ね合わせて読みましたとも。
作者自身が雑誌ブックレビューなどで母親について語っているのを読んだし、
とうの母親である水村節子の「高台にある家」も読んだので(水村美苗の本に似た装丁だなーと思って読んでそのドラマチックすぎる人生に驚いた。作家となった娘の力を借りた本で、実際は水村美苗さんの手が相当入っているもよう)、
この「母の遺産」も、
かなりの題材が現実から取られていると思うのだが、
美津紀は作家ではなく、大学の非常勤講師になっていて、離婚後の倹しい人生計画をあくまで具体的なお金の数字で語るのだが、
そういうところも、
新聞小説を、
つまり、
新聞を読んでいるおおよそ1500万人の人に共感を与えるものというか。
数年前まで、新聞投稿をやっていたんですが、
新聞は投稿が採用されると住所氏名年齢の確認電話を寄越すのですね。あとは二重投稿の有無とか。
その時に、
「新聞に載っている文章はは、すべてニュースだ」
というような言葉をいただきまして。
オピニオンはもちろん、身辺エッセイであっても、本についての感想であっても、
それらはニュースなんだと。
この小説は2011年4月2日で連載を終えていますが、
離婚後、あたらしいマンションに引っ越した翌日、
美津紀は大震災を東京でですが、体験しています。
連載開始時は、母の遺産というタイトルですから、
母の死も、主人公の離婚も、母の遺産による離婚後の生活設計も、姉のことも、夫のことも、
描かれることになっていたと思います。
そこに、
最終回に大震災のことをいれたのは、
作者自身のあの震災を経ての気持ちもあったと思いますし、
姉妹が「細雪ごっこ」をするわけですから、
当然、
谷崎が「細雪」で阪神大水害を描いたことも影響していると思われます。
「本格小説」で、小説のおもしろさを「嵐が丘」を下敷きにして描いた作者は、
「母の遺産」で、新聞小説はこうじゃ、というものを描こうとした気がします。
ところで主人公の祖母がお宮さん、と、呼ばれているもとになった
「金色夜叉」、私はまだ読んでいないのですが、これを機に読もうかなあ。
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