5/4の氷見、ハットリくんワールド紀行のつづきであります。
湊川カラクリ時計、潮風通りのサカナ紳士録モニュメントと、ハットリくんのキャラクター満載のアーケードの先に、
藤子不二雄A先生の生家、光禅寺がありました。
あらかじめ、ここに藤子不二雄A先生のキャラクターたちがいると知っていたのですが、
実際にみると、衝撃的でした。
藤子不二雄A先生のお父さんはここのご住職だったのですが、先生が10歳で亡くなり、
遺された家族は高岡に引っ越すのです。
そして高岡で藤子不二雄の相棒、藤本弘さんと出会うわけですが、
「まんが道」ではお父さんが住職であったことや、お父さんが亡くなって高岡に引っ越してきた経緯はあまり触れられていなくて、
A先生の書いた本やエッセイコミックでだんだん分かってきて、
あこがれの手塚先生が食事をご馳走してくれることになって、
無理してビフテキをたべたとか、菜食主義者だとか、
そういうこともお寺の生まれだったらそうもあるかと納得したものです。
由緒正しい、落ち着いた佇まいのお寺でした。
しかし!
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20071025
(藤子不二雄ファンはここにいる koikesanの日記)
をいま読んでしまい、ショックを受けているー。
光禅寺のなかに案内してもらって、
トキワ荘に入った時、その前に部屋を使っていた手塚先生からもらった机(座卓)など、
貴重な資料を数々ご覧になっているんですもん。
記事は2007年のものなので、いまおなじように拝見させてもらえたかどうか、それはわからないが、
うーん、爪が甘いよ自分、とホゾを噛む思いである。
しかもさらに。
以下次号。
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