
「アンアン」がパンダから取られた名前だということを知ったのは10年くらい前。
引っ越しのサカイさんと同じ創業ですね。
アンアンの初期の頃はほんとうに今ではおとぎ話みたいな凄い人達が関わっていたんだなーと思った。


当時私は小学生だったし、たぶん、近所のお店には別冊マーガレットは置いてあってもアンアンはなかったと思う。
最初は採算も取れないし、売れないし、だったそうですが、
一方で立ち読みは多かったんだそうです。
この表紙はいまでも使えるだろうなあと思う。

アンアンの最初のアートディレクターが堀内誠一さんだったので、その縁で、
「ペローの残酷童話集」はアンアンに連載されていた、というのは知っていましたが、
三島由紀夫の割腹自殺について寄稿文がアンアンに掲載された、というのも意外でした。
当時のアンアンって、どんな雑誌だったんだろう。

こちらは赤頭巾の澁澤龍彦訳。
で、イラストレーションが片山健。
堀内誠一、片山健、といえば福音館書店の絵本ですが、
絵本の世界とアンアンはおなじ地平だったのです(そうか?)。

片山健の「どんどん どんどん」。
赤頭巾のイラストと同一人物です。
アンアンの初期の号をいつか見てみたいと思う私でした。