この横長の絵本は児童室の2類の1番上の棚にありました。
私が子どもの頃の絵本は、たぶん、
子どもにはうつくしい世界、安らぎと優しさのある世界、
正義や思いやりが賞賛される、理想の世界をえがいたものがほとんどでした。
だからこそ、私は絵本がきらいだった(笑)。
絵のない本をはやくから読みはじめて、絵本なんか振り向きもしなかったわけだ。
しかし時代とともに、子どもを取り巻く世界も変わり、
子どもに目隠しをしつづけることより、リアルな世界を伝える意志をもった
絵本がずいぶん目につくようになりました。
子どもの頃、こういう絵本があったら、私も少しは歴史や地理に興味をもった…かな?
1797年、奴隷の夫婦の間に生まれたイザベラは当然のように9歳で売られ、激しくこき使われ、主人のきめた奴隷と結婚させられ、生まれた子どもたちは取り上げられ、売り飛ばされました。
奴隷が産んだ子供は主人のいわば資産なのです。
絵本の形ですが、アン・ロックウェルの文もグレゴリー・クリスティーの筆も、子ども向きに抑えることは一切ありません。
イザベラは28歳の時に自由を求めて、主人の家から10㎞はなれたワーグナー夫妻にたすけをもとめました。
ワーグナー夫妻はイザベラを主人から買い取り、自由にしてくれました。
やがてイザベラは遠い州に売り飛ばされた息子(州の法律で奴隷をほかの州に売り飛ばすことは禁止されていた)を、裁判を起こし、自分と一緒に暮らせるようにした。
当時差別されていたのは黒人だけではなく、女性もまた男性より下にみられていたのに、黒人でその上女性のイザベラが白人の男を裁判にひっぱりだし、しかも勝ったのだった。
息子はむごたらしく扱われていて、背中にはイザベラと同じ一生消えない鞭のあとがあった。
1843年のある日、イザベラは夢の中で啓示をきいた。
奴隷だったことをアメリカ中を旅して人々に語れ、とその声は言った。
イザベラはソジャーナ たえず先へとすすんでいく人
となろうと決意する。
たえず前へと進んで、真実を告げる人、ソジジャーナ・トゥルース。これがイザベラの新しい名になった。
それから彼女は生涯をかけて自分が奴隷だったころのことを人々に語りつづける旅をした。
はげしい迫害にも負けず、彼女は歩き続けた。
1863年、リンカーン、奴隷解放宣言発布。
1864年、ソジャーナ、ワシントンD.C.の全米解放奴隷救済協会であたらしく解放された南部の奴隷のために、
住居と仕事を提供する活動をはじめる。
1878年 81歳のソジャーナ、ニューヨーク州ロチェスターで開催された女性の権利大会へ代表として出席。
彼女は1883年、ミシガン州バトルクリークにて亡くなり、
1919年に憲法修正19条によって、女性への参政権が与えられた。
5、6年生以上だったらすべての人が読者対象だと思います。
ソジャーナの絵と物語を読みながら思い出したのは、
「カラー・パープル」。
ひとによってはあの映画はあからさまな賞狙いすぎるだろう、というのですが、
原作とはたしかに趣がちがいますね。私はアリス・ウォーカーを読むようになってから、
図書館でビデオ(当時はビデオでした)を借りました。
あの映画の中のウーピー・ゴールドバーグのイメージ、背が高く痩せていて、忍耐強く、
賢くタフなイメージを思い出しました。