
本文はここから
「いちごつみ」。女の子がやまへイチゴを摘みに行って、クマの子に会うんです。
「いちごつみ」。女の子がやまへイチゴを摘みに行って、クマの子に会うんです。
クマの子が「ウーフ」というところが気に入っていたなあ。当時は教科書の暗唱があたりまえだったので、これも丸暗記させられました。もしかしたら、「サリーのこけももつみ」の影響があるのかな、と、後年「サリーのこけももつみ」を読んで思いました。
サリーはお母さんと山へこけもも摘みに行って、クマの子とばったり逢うんですね。でもクマの子はクマの子として描かれていて、おうちにきてジャムをごちそうになるということはないのですが。
神沢利子さんの「いちごつみ」だと思いますが、まだ確かめていません。
小学校高学年でならった、タイトルは忘れたけれど、焼き物をつくるお父さんと息子の物語。
息子はお父さんのつくる平凡な湯呑や茶碗に批判的で、もっと創造的な、野心的な作品をつくりたいんだ!と思っている。
けれども家を出て自分で修業を重ねるうちに、平凡でシンプルなものの方がどんなに難しいかわかってくるんですね。
ある日、息子は自分の理想とするひとつの湯呑をみつけます。ふっくらとした湯呑には花弁が描かれていて、もってみると手にしっくりなじむようでした(いやこんな話だったというだけで、全然文章はちがいます)。
息子がその茶碗の底を見るとそこには、あれほど自分がその平凡さを批判していたあの父の銘があった、
というお話で、20年くらい前に友達と昔教科書でならった物語で、という話をしていたときに、
あれ、よかったよね!と盛り上がり、
数年前に赤木かん子さんの本で、あ、こういうタイトルだったのか、と、作者はこのひとだったんだ、なるほどー、
と思ったのですが、忘れてしまいました。
中学校時代に習った「一片のパン」(タイトルはわすれました)。
戦時中の話で、亡命先の国までの厳しい旅に向かう男に、仲間から手渡されたのは小さな包みだった。
なかにはパンが入っているから、もし、どうしても飢えに耐えきれなくなったらこれをあけるんだ、
という言葉と共に。
厳しく辛い旅立った。
男は何度もその包みを開けようと思った。だが、もっと耐えきれなくなるまで我慢しようと思い、とうとう最後まで包みを開けることはなかった。
国境を越え、ここまでくればもう大丈夫だと分かった男が包みをあけると、
そこに入っていたのは、
木片
だった。
これも30年以上前のことなので、亡命だったかスパイだったか逃亡だったかもあやふやですが、
教科書の挿絵が内容にぴったりで、読んでいるうちにこちらも重苦しい気持ちにさせられたものです。
出典がはっきりしていてすきだったのは、
「山椒魚」と「裸の王様」(開口健の)。
これはどちらもたびたび読み返しているのでちょっと好きな話とはまた違うかも。
やっぱり、
タイトルはわからないけれど、すきだったなぁ~というほうがいいかも。
あー、あの親子の陶工の話って誰が書いたんだろう。名前を聞くといつも、
あ!そうそう!と思うんだけどね。
国語の教科書に出てたちょっと好きな話、ありませんか?