ちょっと前まではたぶん、このブックカバーをみても
全然なにも思わなかったんだろうなあ…。
ロイ・リキテンスタインだな、といまは思う。
それがどうした、とも思うが、
分からないより、分かることがひとつでも多い方がいい。
すごく素朴な考えですが、ひとは日々成長するために
生きている。少しでも賢くなるべきだし、幸せになるべきだ。
ひとには親切にせよ。悪いことはするな。
募金箱にお小遣いを。血圧が100あったら献血を。
まあ、そんなところです。
そんな素朴な考えで生きている。
嘘はつかない。人を傷つけない。
でもそれ以上に自分に嘘をつかない。
しかしそんな素朴な考えの私が西原理恵子のマンガを読むのはなぜか。
つらい貧困や暴力や娼婦や差別のメガ盛りじゃないか。
こんなチャレンジしたくないよ。
と思いつつ読んでしまうのはなぜだろうか。
貧困のすさまじさ。底の底でさらに底の人間をみつけるや
傷めつけずにいられないどん底の人々。
しかしこれが笑っているんですねほとんど。
悲惨な人生に獰猛な顔をして誰かを怒鳴りつけている方々もおいでだが、
それはどん底の中でもましなほうで、
ほんとうのどん底のひとは困ったような顔をして
笑っている。八の字眉の笑顔。みていて切ない。
こういちくんを慕うツレちゃんとか一太にすがりつく4人の子供が
おそらくほとんど自分の子じゃないらしいおやじとか。みんな困った顔で
それでも笑う。つらい笑顔だと思う。
ひさしぶりに読んで、
かの子は安寿のようだと思った。
二太は厨子王のように出世してかの子姉ちゃんを救いに
行けるんだろうか。
それにしてもなぜ貧乏の底にいるひとたちは火をつけるんだろう。
腹いせに火をつけたり、なにかを隠そうと火をつけたり。
火がすべてを浄化してくれると思って火をつけるのだろうか。
最後に二太を迎えに来てくれたおじいちゃんは西原さんが
エッセイやマンガで何度も描いている大好きだったおじいちゃんが
モデルかなあと思った。魚と機械油の匂いがして、温かくて頼れそうで。
塩の匂いは分からないが、
父が大工だったので木の匂い、といってもヒバとか杉の匂いじゃなくて製材の匂い
なんだが、そういうものを嗅ぐとあー懐かしーと思う。軍手手袋についた大鋸屑とか。
匂いって懐かしくて安心しますよね。
二太にもつらいことがこの先待っているかもしれないが、
じいちゃんの匂いが二太を守ってくれる人生でありますように。