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そうですなあ。
そうですなあ。
…えー、もちろん空想のなかの自分を20歳くらい若くして、
50%増しくらいで美化することが大切だ。てか妄想じゃなくても、
自分の頭の中の自分って、たいてい美化されてませんか?
鏡の中の自分が自分だと思っているから、たまに
写真や映像をみてびっくりする。うそー!これは私じゃないわ、
みたいな。いや自分ですそれこそええ。
というわけである程度美化して若返らせた自分で妄想することに。
…で、いいのかなあといまふと思った。
いや、いまの自分でこそ妄想のし甲斐があるだろう。
ここは腕のふるいどころだ(なにか路線が変わってきた)。
47歳でちょっと疲れた感じのシングルマザー(というとなんか
若いお母さんをイメージしちゃうのは差別的でしょうか)の私が恋愛するわけか。
苦しいな。恋愛するより昼寝のほうが楽しい。
というところを抑えてこういうラブストーリーはどうだ。
フェルメールの画集をひらいていたら、いきなり絵の中に吸い込まれて、
気が付いたらミルクポットからとぽとぽと牛乳を注いでいるわけだ。
おおなんとしたことだ。フェルメールの絵の時代にタイプスリップしたようだ。
というわけで私はなぜかフェルメールの家の女中だ。息子は子だくさんフェルメールの家の
子どもたちの遊び相手ということにしておこう。女中の子どもと遊ばせておくのかどうか、
当時の風俗は知らないけど。
というわけで私の恋愛相手はフェルメールだ。
ほらだって、Bunkamuraでこんな絵画展があるしね!
これでいいのか~♪これでいいのか~♪
いいのさ。
不倫ということにするといろいろ差しさわりがあるので、
なんとなく絵のモデルになってしまった、
牛乳を注いでいる瞬間だけの恋と言うことにする。
あれは召使の女がモデルらしーので。
問題は配役と監督だよな。カメラ重要。
よきにはからえ。
すきな男優はヒュー・グラントだが、ヒューに鬘がにあうかどうかは
謎である。これまたよきにはからえ。
注がれるまなざしに恋した瞬間があって、
しかし最後のひと筆がおかれた時にはもう、恋は冷めてしまっていたというお話。
恋のはじまりから終わりまでの、数時間のドラマだ。
実際にどれくらいの期間で絵が描かれたかというのは
妄想には関与しない。
妄想なので、10時くらいからはじまって、午後2時くらいに
終わるんである。
恋のはじまりも終わりも、フェルメールは知らない。ことにする。
部屋を下がる時に、青いターバンをまいた少女と廊下ですれ違う。
奥方様が言うわけですよ。
「きょうから入ったのよ。いろいろ教えてやってね」と。
ええ、
いろいろ教えてあげるわ。
きっとあなたは旦那様のお気に入ると思うわ…。
コツコツコツ。
廊下をあるいていく少女と奥方様を見送って、
「私」は一礼し、
頭を下げた瞬間めまいに襲われ、
気がついた時にはまたもとの部屋にいるのだった。
うーーーーーん。
全然華々しくなかった。
ラブストーリーには向き不向きってあるんじゃ…
みなさんは自分がラブストーリーの主人公だったら
相手はだれがいいですか?
てからぶストーリーの妄想が華やかにできるひとが
心底うらやましー。