母と娘の物語 ユリイカ | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

eeeeee


菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」Powered by Ameba


これをマンガに分類していよいものか。


「文藝別冊 萩尾望都」にチェックを入れたら、

この本を買ったひとはこちらも併せて買っています、


というメッセージが出てですね、つい。



もちろん、中心となっているのは、


「イグアナの娘」と萩尾望都なのですが、


その対談のなかでも、よしながふみの「愛すべき娘たち」の

中の、


「要するに母と言うのもひとりの不完全な女なんだ」というセリフが

引かれているし、


またべつの寄稿文のなかでは、


高野文子の「黄色い本」の、「かーぜーひくでば!」(もしかしたら

岩手なまりに勝手になってしまっているかも…)のお母さんと

娘の関係性についても説かれています。



というように、



少女マンガに限定しているわけでもないのですが、少女マンガというものが

かつて少女であった女性たちが描くことが多いものである性格上、


少女マンガにおける母と娘が俎上にあげられるのは、

自然の道理なのでありましょう。


かつて、あれっ?と思っていた、


吉野朔実の「お母さんは赤毛のアンがお好き」(だったかなー)のなかの、

きちんとしていることがすきで、平凡や普通がいちばん、と言っているお母さんが

「赤毛のアン」がすきで、


「どうして?」と吉野さんが聞くと、へー然として、


「だってアンが変わってておもしろからよ」というのでした。



でも、彼女は吉野さんに対しては、変わっていてはほしくなかったわけで、

本に関するエッセイとマンガの連載をまとめた本だったのですが、


そこのところが印象に残っていたものです。


マンガ家だけでなく、



笙野頼子の「母の発達」もとりあげられていましたし、

女性作家たちの母親的なものと娘を描いた作品もとりあげられていたのですが、


やはり、少女マンガのしめる割合が高かったような…。



意外なところでは、楳図かずおの「赤んぼ少女(呪いの館)」の

タマミと葉子がでていました。




きょうはなんとなく、じゃなくて、あからさまに


話題がマンガばかりになってしまった…。



ま、これで書きたいことは書けたので、スッキリだ。


部屋は全然スッキリしていないが…ま、あしたも休みだ。

なんとかなるでしょう!



(この楽天的な性格だけは自分でも大いに気に入っています)