子どもの貧困 100冊への道21冊目♪ | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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「子どもの貧困ー日本の不公平を考える」 阿部彩



森永卓郎さんの「年収300万円時代を…」よりさらに

シビアな現実にくらくらしました。



新聞で、小学校の校長先生が栄養失調になりかけている児童に

校長室で牛乳を与えていた、という記事を読んだ時のショック。



え。



その子供は親に虐待されていて食べさせてもらっていないというわけではなく、

両親がコンビニエンス・ストアを経営していて、あまりの忙しさに栄養が偏ってしまっていた、



というようなことだったかと思います。



思い出したのは、池田理代子の初期のマンガでそのタイトルが

「ごめんなさい…」というものです。


病身のお母さんが4人くらいの子供を育てていて、主人公の女の子は

裕福な家庭の、容姿才能成績ともに恵まれた、池田マンガのある典型的な

お嬢様なのですが、


その貧困家庭の女の子と隣の席になってしまったんですね。


彼女は優等生ですから、自分より「劣ったもの」へは「親切」を「施す」べきだと

考え、その考え自体にはなんら疑問も持たないで手をさしのべるのですが、


貧しい家庭のその少女からは、とりたてて感謝されないばかりか、

せっかくきれいな服をあげたのに、ひそかに好意を持っていた男の子を通じて

返されてしまう…しかも、


「乞食じゃないんだ」


という、自分の親切をまるで台無しにするような言葉に傷つきます。



貧しい家の子は物語の終わりの方で、絵の才能があることを、あるコンクールの

金賞受賞で証明し、ふだん、白眼ばっかりで表情のない彼女がはじめて人間らしい

顔をする場面でもあるのですが、


今度は金持ちの女の子が嫉妬からその絵を、誰もいないときを見計らってびりびりに

破り捨ててしまいます…。


けっきょく、それからほどなくして、一家心中と言う惨たらしい結末を迎えるのですが、


くだんの男の子はじつはお父さんが民生委員で、生活保護申請の手続きを進めていたところだったのに、

というようなことでした。


お金持ちの女の子は自分のしたことの取り返しのつかなさに、嘆き悲しむのですが、

どこかそこには、貧しい子どもがお金持ちの子どもの精神的成長のいわば、


生きた教材、


であったかのような、違和感が残ったのでした。


この本を読んで、ふと、あのマンガを思い出してしまいました。



この本にかけているのは、


「子どもの貧困」の当事者からみた視点、でありましょう。


貧困に悩む母親のアンケートは取り上げられているのですが、

サンプリングとして、という冷たさを感じてしまったのでした。


著者はでは、この貧困をなくすためにはどうしたらいいのか、というところで、

政府の施策への提案を掲げていますが、


それを読んではじめて、ああ、これは「政府への提案書」だったんだなーと

納得できたのでした。しかしやっぱり、政府に頼るより、自分でできることは

まだありますよ、という道標となってほしかったです。