思い出を切り抜くとき 萩尾望都 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

eeeeee


菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」Powered by Ameba


ふと、図書館の蔵書検索で、「萩尾望都」と入力したら、

このエッセイ集が出てきまして。


印象に残ったのは、あとがきの、



人との距離の取り方が分からない、というところでした。


以前も違うエッセイで、アシスタントに注意するのが下手で、

ベタを忘れていたりすると、


「なんでやっていないの」

という言い方をしてしまい、それは自分が厭だとおもっていた

母親の言い方にそっくりだった、


というのを読んだことがありました。


それで違うマンガ家さんのアシスタントにいったら、


「ここ、ベタお願いします」と言ッているのを耳にして、

ああ、そう言えばいいんだ、と学んだというのですが、


萩尾さんって、なんか不器用?と思ったのを思い出しました。


ちなみに、お手伝いにいったマンガ家さんとは

大島弓子さんでした。


萩尾望都のマンガは小学校の頃に初めて読んで衝撃を受けた。

7,8歳くらいの女の子が親戚のおじさんの犯罪を知って、黙っていてあげるわ、というような

感じで微笑むところがすきだった。(ずっと読み返していないので、

記憶違いなどあるかもー)


モードリンだったかなあ。別冊少女コミックの読み切りか、

前後篇くらい。



すごく緻密に計算して描く作家だと思っていたので、


自分は感情が先にくるタイプで、理論家は美内すずえさんとか、とあるのをみて、

えええ、と。「ガラスの仮面」の展開というか、引きの凄さはいかがなものか。


だれかのエッセイで、


「ねえねえ、物凄いヒキを考えたのよ」


「わあすごい、それで来月はどうなるの?」


「それが考えてないのよ(笑)」


というのを読んで、やっぱり!そうじゃないかと思ってたよ!と納得した。

その美内さんが理論家で萩尾さんが感情型?


などなど、発見がいろいろあって、おもしろかったです。


お姉さんとの、悪気がなければ、善意ならなにを言ってもいいのか問答。

お姉さんは悪気がなければ、なにを言ってもいいと思っている。

たとえば、女性を美人と褒めるのはいつだって、いいこと、なんだが、


でも美人と言われて喜ぶひとばっかじゃないでしょう。自分よりあきらかに

きれいなひとに、美人ねと言われたら微妙…。


萩尾さんがなんとかお姉さんに善意であっても、ひとを傷つけることは

ある、と分かってもらいたいのですが、


お姉さんの楽園は揺るがない。善意で言っているのに、悪くとるのは

その人がゆがんでいるのよ、となるわけだ。


いくら言っても話は平行線をたどるのですが、このとき萩尾さんは、

いつもお姉さんが正しくて自分は悪いと思っていたが、


どっちもどっちだったんだな、と悟るわけです。


こういった、家族関係の話は、のちの「イグアナの娘」を思わせます。


2、30年前に書かれたエッセイを集めた本ですが、

すきなバレエ観劇のことや、マンガ家としての在り方、マンガ家志望のひとに

対するアドバイスなど、


いま読んでも古びていないなあと思わされます。


それにしても、お姉さんが小夜、妹が和歌、弟が弦一郎って、

萩尾さんのお父さんかお母さんが音楽すきだったのでしょうか。