1990年に文庫になっているんですね。
なんと20年前だ。ずっと長い間、読んでみたいと
思っていました。タイトルからしておもしろそうじゃないですか。
昔は文庫本を読むと、後ろの方にずらっと並んでいる文庫のタイトルに
眼を光らせて、そのタイトルで書店に注文を出して取り寄せたりしていたのですが、
そういえば、最近、注文してまで本を買わなくなった気がします。
ずいぶん長い間、講談社文庫をよむたびに、
「ただの私」、読みたいなと思ってからずいぶんになるけど、
まだ読んでないなあ、本屋さんで探そうか?
なんて調子で…。
きのう美術館のショップでみかけて、思い切って、
(といっても文庫ですが)買ったわけです。
「私は美人で、頭も悪くないし、身体もいいし、幼い時から
廻りの人に気をつかって、随分尽くす性だし、
今は、その延長で世界のために、と自分の出来るだけはしているのだから、
自分では何もコンプレックスを感じていない。
それがこれだけ悪口をいわれてきた、というのはどういうことなのだろう。」
…ここ、笑うとこですか?と聞いてみたいきがする。まるで、まるで私みたい(笑)。
でも私は反語で言ってるんだよ、というニュアンスで言うのを忘れない日本人ですが、
ヨーコさんは、徹頭徹尾、本気にちがいないよ。
自分では自分のいい子ぶりっこにうんざりしているくらいで、片親になったショーンのために
低姿勢でいるのに、そんな自分を悪く言うなんて、
「世界に向かってバカヤローといいたいくらいだ」
とあって、ここで爆笑してしまいましたが、
私はただ、私でありたいと思って暮らしてきただけよ。
と、ヨーコは書く。
70年代~80年代の文章、インタビューが収められていて、
時代を感じさせる(率直に言うと、古い)ものもあったのですが、
社会の中での生きづらさを、
まな板の上に置かれて、口をパクパクやっている
魚に例えて、
いっそ早く殺してくれ、と思っているのに、
社会も男も私を殺しきれないで、
生きちゃう、と。
殺す、とは精神的な死、社会の規範のなかに収まることだ。
なんとなく、この「生きちゃう」には非常に共感「しちゃう」
私なのだった。