ダンスで越えた私の人生 萩原葉子 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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ダンスで越えた私の人生 萩原葉子 海竜社



父は萩原朔太郎。


葉子は幼い頃、母が出奔したため、父の母である

祖母と叔母たちに苛め抜かれて


陰惨な思春期を送った(「蕁麻の家」)。妹は脳膜炎の後遺症で

知恵遅れとなり、祖母に姉の悪口を言うことで

可愛がられようとする…


ほんとうに出口のない青春だったわけですが、

そのあと結婚した相手ともうまくいかず、


離婚して幼い息子をひとりで育てる決心を

したあたりからこの人は俄然おもしろくなっていく。


おもしろくなった、といったら失礼だろうか。


でも、本来の萩原葉子が輝きはじめたのは、

40代になってからなのだった。


私は萩原陽子を、まず、森茉莉の親友として知って、

高校時代にその作品をほとんど読み、その後も、

けっこう読み続けてきました。


茉莉も高名な文学者である森鴎外の娘だし、離婚して、

息子がいるという点では同じなのだが、


茉莉が息子をひとりで育てるのは無理だろうなあと

思う。そこはさんざんな人生をたどってきた葉子の

底力だろうか。


晩年、といったら失礼だが、高齢になってからの来し方は

ずいぶん対照的だ。



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作家になったばかりのころの、萩原葉子。


「出発に年齢はない」という著作もある萩原葉子は、

作家になるまで、ずいぶんとまわり道をしたが、


森茉莉もそれは同じだった。二度の離婚、戦争を経て、

茉莉がとうとう、このままでは乞食になる、という

恐怖に背中を押されるようにして


エッセイを書き始めたのは50代だった。


萩原葉子は、母とほぼおなじ年齢の茉莉の遅いデビューと、

その確固たる文学への情熱に励まされたのだった。


そんでもって、人生の過ごし方も違うが、

この二人の文学の方向性もぜんぜん違うわけだ。

でも親友。ヨーコばっかり贔屓してなにさ、と、

共通の編集者にだだをこねたりしますが、


それでも親友。


もともと、運動神経はよく、体を動かすのも好きだった葉子は、

運動不足がたたって、40代でぶくぶく太った体に、健康面で不安を感じ、


思い切ってダンスを習う決心をします。


ずいぶん意地悪で暴力的な先生についても、

子供時代さんざん苛め抜かれた葉子は、それでもダンスをやめないし、

その先生の指導をうけつづけて、ついには



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70歳でこんなリフトをやってのけるようになるんです。



自宅を立てたときは、ダンスのスタジオを作り、

出版パーティには、ダンスの披露もします。


文学の講座は口下手だから、と、断りながら、

ダンスだったら、と、カルチャースクールで教えた

こともあります。


そのスクールで教えた生徒たちが、見違えるように

輝いていく姿こそ、葉子の歩いてきた道だった。

そんな葉子だからこそ、生徒たちも熱心に習ったのでしょう。




ダンスをはじめて半年で、ウェストが20㎝もしまり(ほかの本で

56㎝になった、とあって、どんだけーと思ったものだ)、

近所の口さがない奥さんたちに、


整形なの?どこでやったの?と口々に責められたそうですが、


子供時代祖母に


「醜女、色黒で南洋じゃ美人」


とさんざん罵倒されつづけ、容姿に自信をもてなかった葉子さんが、

やせてすっきりしたことで、


「倍賞千恵子さんですか?」


と間違われるようになった…そう、前からだれかに似ていると思ったら、

萩原葉子は倍賞千恵子に似ている…たまに美津子さんにも間違えられるそうです。


40代から自由にはばたいた、とも見えますが、



ダンスを習い、性格もずいぶん変わって積極的になっていく明るい面だけではなく、


子供時代自分たち姉妹を捨てた母親が戻ってきて、


妹と母、ふたりの面倒も葉子の肩にかかってきていました。


ひとり息子の朔美がやがて結婚して家を出て、高齢になったふたりは、

ますます扱いにくくなっていくのですが、


その大変さも、ダンスへの情熱で乗り越えてしまうのです。


思うに、子供時代から青春期までの長い間に使われなかったエネルギーが

代わってここで噴出したのではないでしょうか。



私はひとのエネルギーや運や才能、幸せなどは、ある程度一定なのだと思っているのですが、


子供時代にものすごく愛されて、幸せなひともいれば、


不遇な子供時代を送った分、大人になってから幸せを掴んでやる、と猛烈に努力するひとも

いるでしょう。


息子の朔美が書いた母・葉子の「打ちてし止まん」には、相当強烈なものがあり、

なんでそこまで、と、思うほどだったそうです。


葉子さんの考えは、


少女時代に負けても、大人になって勝てばいい、


と、ほかの作品で読んだことがあり、


どこを切っても金太郎飴のように、幼少期の甘い蜜の部屋、

父鴎外に愛され、ふんだんに与えられた贅沢な服やたべもの、

そういった思い出を終生うたいつづけた茉莉と、


一見対照的な考え方であり、人生ですが、


ふたりとも、決然とした個人主義者だったというところで、

類まれな女だった、と思うのです。


それにしても、70代でリフトってすごいなあ…。