魔女菅原と私 第32回 2008年女王戦 決勝3 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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魔女菅原と私 第32回 2008年女王戦 完結



「すごい楽しく観客として見させてもらったんですけど、

次の大会の時はわたしが女王と戦えるように、

頑張ります」


曽根さんが、ふたたび有志さんの隣に戻ってきた。


次につなげるための、次の女王戦への期待を膨らませるための、

100点満点のセリフと笑顔。




有志さんが、



「おぉー、見たいなあ、その対決」

と盛り上げる。


だが、次のセリフはギャル曽根というより、曽根さんらしいと
思った菅原だった。




「むしろ、もっと記録が伸びるように頑張ってほしかったですね」



ふふ。なかなか言ってくれるじゃない。


菅原は頭の回転の速いタイプじゃないので、こういう当意即妙の言葉は
出てこないのだった。


言い返してあげるべきなのかなーと思いながら、




もっと曽根さんにしゃべらせておこうか、とか逡巡していると、



例のテレビ東京のプロデューサーが、菅原にしか見えないような遠くで、

腕をぶんぶん振っている。あー、そういえば言ってたなあ。




(たぶん、菅原が100%優勝するだろう。


優勝した後、曽根に対して強いことを、ガツンと言ってほしい)




あー。言わないとだめかなあ。また私が悪者になるじゃん。


…いいけどね。悪者上等じゃない。守るものなんか、最初から捨てて
いるのよ、こっちは。




と、決意するまでの時間は、たぶん、コンマ8秒。



「修業しなおして、出直してこい!」



…言っちゃってから菅原はまた軽く自分が嫌になった。



どうして声が裏返ってしまうのだろう。もっとさらっと、
カッコよく決められないものだろうか。



「もうちょっと顎、鍛えます」


曽根さんがすぐにスパンと打ち返す。



よし、次はこれでどうだ!



「胃も鍛えろ!」



「胃袋だったら、負けません」



最後はもう、掛け合いのようになっていた。



やっぱりこの人には、タレント性があるな、と思った菅原だった。


でも。



胃袋では負けません、という言い方は、タレント・ギャル曽根としての、
ファンへのサービスなんだろうな…。




最後は有志さんが、次の大会への期待を盛り上げるような、
巧みなまとめをして、決勝のステージは終わった。




「菅原さん、そのまま優勝カップの撮影、行きますよ」


ステージをぴょん!と飛び降りた(菅原は運動神経が鈍いくせに、
高いところから飛び降りるのが病的にすきなのだった)のをみて、



こいつはまだまだ元気だから歩かせるか、ということになったようだった。

とほほ…。




そんでもって、例の、


「かかってこいやぁ」のカットのために、
ワイキキビーチまで有志さんと並んであるく。




「悪名を売りましたね」


有志さんが、なんともいいようのないニュアンスのある笑いを浮かべて、
そう言った。


大食いで有名になることを、人気者になって
よかったね、で終わらせないところが有志さんの、
人として尊敬できるところだった。


「悪名、ですね、たしかに」


「そう、よきにつけ悪しきにつけ、

名を売るということは、そういうことなんです」



ハワイの青い輝くような空と、さわやかな海辺にむかいながら、


「悪名」



という言葉をさらりと言う有志さんは、


大食い王の司会をやっているときともまた違う、


ぞくっとするような魅力があった。




ビーチに着くと、例の優勝カップを両手で持ち上げて、


「かかってこいやぁー」と叫ぶことになった。


ええ。それは私が決めたせりふじゃありません。

私としては、向井千明さんが言った、


「でもこれだけは自信があるよ。


カリフォルニアの青い空に、私の笑顔は最高に似合うと思うんだ」


いいじゃん。これだよこれっ!




というわけで、私は満面の笑顔で、


「ありがとうございます♪」


というようなカットを予想していたわけだ。




が。




…ま、あんなもんです。


ちなみにあの優勝カップの中身は発泡スチロールなんだが、
その発泡スチロールに金箔を貼るのがかえって、
技術を要するらしいです。


あと、優勝カップとはいいながら、金のラーメンどんぶりなんだけどね。



こうして。


菅原の2008年春の女王戦が終わった。


テレビの放映まで1か月ほどありますが、私はいつも大会が終わると、
すべてが終わった気がしてしまって、



抜け殻になってしまいます。


空蝉ですよ、空蝉。



その夜、選手たちとスタッフ全員の打ち上げが行われた。



焼き肉バイキングの店だったろうか。


幽体離脱した人みたいになった菅原は、ワインをグラスに一杯もらって、

あとはラーメンの対極にある、ソフトクリームを1、2回取りに行ったかなあ。


なんかね。終わっちゃうと、もうたべなくてもいいか、と
思っちゃうんだよなあ。明日になれば、ラーメンの塩分で下肢が別人みたいに
ふくれあがるのが分かっていたし。



なんか、けだるいなあ、ってところだ。


最初、店に入ってどこの席にしようかなあ、と思って
ぼんやり歩いていたら、



パステルグリーンのカーディガンの曽根さんが、

ピョン!と、菅原を露骨に避けるように奥の席に腰かけたのだった。


「ちょっと何今のあれ。バッタかあ?」




さすがにムカついて、隣の席の正司さんにそう言いながら、


「ほーら、勝利の美酒だよーん」


と、洒落にならない勝利の美酒をかかげる菅原だった。



でもそれほどの高揚感はないんだけどね。優勝した自分が、

あー、つまらなかったなあ!ってわけにはいかんでしょう。




楽しかったんですよ。



どの勝負も。ラーメンの決勝でさえ、あれはあれで楽しく戦っていたんですよ。


でも、終わっちゃったんだよなあ。




準決勝のステーキの前に、正司さんに言った言葉を思い出した。


「正司さんも私も、ここで負けても御世話係なんか勤まらないんだから。

絶対勝ち残らなきゃ、迷惑なんだよ、あたし達は」


だって、正司さんは片足がまだ不自由なままだったし、菅原には
足手まといの息子というものがいたんである。



この息子がいたら、お世話係は絶対できない。負けた上に、役に立たない
わしらってどうよ。



というわけで、勝ち残ろうと思っていた。


だけだったかもしれない。


なんかすべてが遠くに引いていく感じだなあ。





宴の半ばに、曽根さんが自らテーブルを回って、


「いろいろお世話になりました」


だったか、



「ご迷惑をおかけしました」


だったか、

一人一人に挨拶をして、ケータイストラップを配っていた。




金属製の、ハイビスカスの花柄の小さな草鞋。
菅原がもらったものは、赤に白いハイビスカスだった。


…もちろん、カメラなんかまわっていない。



あとで聞いたら、前日、佐藤さんと一緒にショップで選んだのだそうだ。




はじめて、札幌で行われた地方発掘戦に出たときに、


「あたし、この番組はすきにしゃべっても怒られないからすきなんだ」

と言っていたなあ。



なんで、はじめて会った素人にそんなことをぶっちゃけてしまうんだろうか、



とドキドキした菅原だった。



ギャル曽根というタレントのすべてが、

菅原にはおもしろく、目新しく、新鮮だった。



だってそれまで見たことなんか、
なかったから。



大食いというジャンルがあることさえ、


知らなかったんだから。




なんて、おもしろい、頼もしい、ユニークな、カッコいい女の子なんだろう!

と目を瞠る気持ちだった。




…いろいろ、突っかかられて閉口したりもしたけれど、

つまりそれは。


やっぱり、大食い王のロケは、曽根さんがいちばん、
リラックスできる場所ってことなんだろうなあ。


バッタみたいに避けられた時には、さすがにムッとしたけれどね。




ワインを2杯もらったかなあ。


息子と正司さんと3人でタクシーに乗せてもらって、
わりに早めに引き上げた。息子はもう眠たくなって暴れだしたし、


それにもう、一人になりたくなっていた。


帰りのタクシーに、小口さんはじめとするスタッフさんたちが、

「グッバイ、チャンプ!」と見送ってくれたのを憶えている。


もうグダグダになった息子をひこずるようにして、部屋まで戻り、


ふと、ほんとうにふと、


「部屋に来る?」


と、正司さんに言って、






…そのまま、朝になった。


ホノルル・クッキーカンパニーのパイナップル・クッキーと
ABCマートで買ったピスタチオだけが、


ふたりの話を聞いていた。


胃袋の中でね(笑)。




(終)のか、(つづく)のか、わかりません…。