萩原葉子、ポプラ社。
息子が放課後お世話になっている施設の本棚で再会した本。
萩原葉子は、私にはまず森茉莉の親友で、
萩原朔太郎の娘として認識されたのでしたが、
自伝的小説『蕁麻の家』の子供時代をおなじ年頃の読者にあてて、
エッセイ風に描いています。
母親が出奔し、父親は芸術のことしか頭にない、妹は病気の後遺症で発達が遅く、
祖母は葉子さんに辛くあたる…祖母、叔母、お手伝いさんにいたるまで、
味方はいません(>_<)。
さんざん虐められて人を信じられない、暗い少女になった葉子は文学と出会い、
さいごには、
「少女時代は負けて、大人になって勝つ」
それが理想だと断言する強さをみにつけるのです。
で、ひとつ思いあたったのは、
少女小説には、貧しさや孤独、ひもじさを空想で楽園にかえる少女がやたら多い…。
セアラ・クルーもペリーヌも、アンもたくましい想像力の持ち主です。
一方、男の子は、うんざりするような場所からは、とっとと飛び出します。ハックもジムも、空想を紡ぐより、冒険の地図をひらきます。
あくまで少年少女小説のはなしですが、
実際にも女のひとは、与えられた現実をなんとか受け入れてしまうのに対して、
男の人は受け入れがたい場所からは、飛び出す、あるいは逃げ出すような気がします。
もちろん私は、前者ですが、森茉莉の「贅沢貧乏」も林芙美子の「放浪記」も、あるいは私のすきなタイプの小説はほとんど、
空想の力で現実を再構築する(大袈裟?)ものばかりだ…いいのか。