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得だと思う。
私は女性だけれど、きれいな女のひとがいると、やっぱり
気になるし、近づきたいと思う。
なにかと親切にするし、つい笑顔になっちゃうわけで。
一方、私は美人ではない(不細工だとはいっていないので、
同情しないように)ので、ぞんざいな扱いをうけたりすると、
慣れてはいるんだが、やっぱり、毎回新鮮なかなしみを覚える。
美人って得だよなー、絶対。
あと、麗しいひとというのは、だいたい性格もいいので、
そこもまた羨ましい。
それは幼児期から、いつも笑顔と親切な扱いになれているから、
態度も鷹揚になろうというものだ。
田辺聖子さんの小説で、『醜女の日記』という、不美人な主人公が
美人についてあれこれ洞察する場面があって、
いちいち肯ける。
木原梢、という美人だけど事務能力は著しく劣る同僚と、
不美人ではあるけれど、仕事熱心で気働きもできる、主人公。
でも、最後には、そんな主人公を好きになった男の子があらわれるわけだが。
その小説の中で、なんとなく、ドリフのコントにおける、いかりや長介の女装を思わせる、
取引先のオールドミスが、ひどく不細工で、有能で性格もいいひとなのに、
陰でぼろくそに言われているのが気の毒だったなー。
なんか、そこまでではないと思っているんですが、気がつくと、
不細工組の私、という目線で読んでいる…とほほ。
じつはうちの息子は、私に似ているのに、
なぜか、
悪くない顔立ちだ。
これがうれしい反面、腹立たしいこともあるわけだ。
息子はなんというか、恐れをしらない。
誰にでもどーどーと声をかけて、写真写りが
うんざりするくらい、いい。
私の、92歳で亡くなった祖父がまったくそんな感じだった。
78歳でバイクでこけるまでは、背筋がぴしっと伸びているのが
自慢で、もちろん、美男に生まれたことが自慢で、
明治生まれとしてはめずらしい手足の長さも自慢だ。
あー思い出しても腹立つ。
美男で、写真写りもいいことを知っているからか、
やたら写真を遺してくれました。
祖父は2歳で父親を亡くし(この父親がまた美男だったそうだ)、
母親が女手ひとつで育てたわけですが、
「この子は上の学校にやりたい」とがんばったおかげで、
当時の農村ではわりに裕福なひとしかいけないとこに
行けたらしい。母親も可愛い子にはがんばっちゃうんだ。
小さいころから、可愛い、きれい、美男だ、と言われ続けたおかげか、
おなじ屋根の下に暮らす者としては、そりゃーもう、
うんざりしておりましたが、
本人はわが世の春、みたいな人生で92歳の大往生。
うらやましい。
私の息子もそんな感じになりそうだ。
悪いことをしても、僕って可愛いから許されちゃうんだよなー、
というのが時々透けて見えるのが、ちょっとね。
ただ、昔は美人は得だよね、と、思っていたけれど、
世の中、私みたいに美人がすきという女性ばっかでもないから、
いわれのない嫉妬や中傷にさらされることもあるだろうし。
二十歳くらいのとき、研修で一緒になった女性が、
ほんとうに非の打ちどころのない美人だったんですが、
ひどく気を遣うひとだった。
気が利かないのは昔も今も変わらない私なんか、
なんであのひと、あんなにちょこまかしてるんだろう、と
怪訝に思っちゃったくらいですが、
美人には美人の苦労があったんだろうなあ。
三田佳子さんは、人から冷たいと誤解されないように、
言葉数を多くしてきたという。
「きれいね」
とだけ言うと、冷たく思われるから、
「この黒が白い背景に映えてきれいにみえるから、私はこちらが好きだわ」
というように。読んだときは、うっとうしーじゃん、と思ったんですが、
そういう気の遣い方をしなければ、傷つけられることもあるのでしょう。
岩下志麻なんか、もちろん、もともと美人だったんだけど、
担任の先生(独身の男性)が岩下さんだけエコひいきしたせいで、
クラス中から憎まれて、毎朝机を取り囲まれて、
「しーまー、しんじまえ」とやられたらしい。ひぇぇ。
で、意を決して担任に、贔屓をやめて、といったら、
今度は目の敵にされてしまったそうです。
美人だと、うける愛も多いと思うけれど、
理不尽な憎しみの対象にもされてしまうのかな。
美人は得だと、表面的に思っていたけれど、
同時に美人にしか分からない辛さも多々あるのでしょう。
んー。
どっちが得か、だんだん分からなくなってきたなー。
みなさんは、美男・美女は得だと思う?