担任でしかも新聞部顧問で、現代国語の先生だった。
どんだけ始終顔を合わせるのか。
いや、すごくいい先生だったんですよ。
高校一年、二年と担任だったんですが、成績不良の菅たんに、
「いま、何読んでる?」とか、気軽に声をかけてくれてですね。
「はあ、サド侯爵ですが」
「三島のサド侯爵夫人?」
「いや、あの、角川ロマン文庫のサド…」
「いまは何を読んでる?」
「高橋和巳」
「…(苦笑)」
まあ、こんな調子で、当時自分の殻にこもりがちな菅たんは
そう長い会話をつづけられなかったんですが、
この先生の現代国語の授業も好きでした。
中学のS先生の授業ともまた違って、板書の分量がすごかった。
50分授業で黒板3枚分は書くんだ。うっかりしていると、
書くのが追い付かない。しかも、達筆すぎるのか悪筆なのか、
読めない時がけっこうあった(本人は悪筆だと言っていた)。
でもいい授業だったんです。開口健の「裸の王様」がよかった。
成金(という言葉が昔はけっこう頻繁に聞かれたものです)の
一人息子に絵を教えることになった主人公が、優等生然としては
いるけれど、どこか虚ろな小学生と、次第に交流を深め、
最後に傑作な「裸の王様」を描かせるに至る…
太郎(だったと思う)が、ザリガニはスルメを使ってとるんだよ、
というような呟きを漏らしたのを聞いて、主人公と太郎少年は
泥んこになって、ザリガニ捕りをするんですよ。
その時の、太郎の体温や息遣いをじかに感じるところで、
「男と女だったら、行くところまで行ったような…」
と先生が言ったのを私は聞き逃さなかった(笑)。
ところが、この名言を、隣の席の女の子も、同じ新聞部の子も、
まったく聞いていないよ、というんですね。
あれは私の心が聞いた言葉だったのか。まさかね。
古典の授業も受け持っていて、光源氏を、
「今でいえば、完全無欠というところだな」と評した時は、
クラス中から、先生いうじゃん、というざわめきが起こりましたよ。
当時、アラジンというグループが、「完全無欠のロックンローラー」を
大ヒットさせていました。
温厚篤実、誠実な印象の先生でしたが、たまに、私たちを驚かせる
流行りものを取り入れることもあるんでした。
高校三年では、担任ではなかったのですが、現代国語はずっとこの先生で、
4月から3月まで、授業のはじまりに、俳句や短歌をひとつ、紹介してくれました。
受験に直接役にたつわけじゃないが、という前提でしたが、
私たちによい意味での「教養」を伝えたかったのではなかったか。
高校の図書室で、先生が谷崎源氏を棚から取り出しているところを、
一度見かけたことがあった。なにか心を打たれた。
高校時代の先生は、小学校時代とは打って変わって、ほんとうにみんな
いい先生ばかりでしたが(それと菅たんの成績不良はまた別の話だ)、
このK先生は別格でした。