あーたーらしーい朝が来た。
きーぼーおのあーさーだ♪
ラジオ体操の歌をうたいながら、菅原は
一枚しかない「衣装」、例の黒ワンピースに着替えた。
息子はポケモンリュックを背負って、張りきっている。
4歳のあたらしい朝はピカピカピカチュウだ。
階段を降りて、集合場所のレストランまで、石像を見ながら歩く。
「千と千尋の神隠し」みたいな、妖しい石像たち。新しいものもあったけれど、
おおむねは苔むしたような、いい感じのアンティーク石像で。
石像はおそらく、インドネシア神話の神々なのだろうけど、
非常に信仰心のあつい国であるのか、いつみても新鮮な白い、
ジャスミンが耳に挿されており、それが菅原には非常に興味深かった。
白い花の名がジャスミンだと分かったのは、国に帰ってからだったが。
バリ島にいた間、菅原は「白い香いのいい花」とだけ、思っていた。
「早いですね」
白いシャツにジーンズの山本さんが、先についていた。
「僕、時間に遅れるの嫌なんですよ」
「でも、昨日も眠れなくて、僕、全然寝てないんですよ」
ちなみに、これは山本さんのジョークである。
眠れないのは本当かもしれないが、とりあえず一言目は、
「僕眠っていないんですよ」
なんである。
山本さんはけっこう凝ったジョーカーであった。
それから、泉さん、白田さん、実桜ちゃんが来て。
この日だったかどうかは忘れたkが、泉さんの
「待たせる方が辛いから」
という言葉が印象に残っている。
貴重品は持ち歩くように言われていたが、貴重品のない菅原は、
とりあえず、紫色の肩掛けカバンだけを持って歩いた。中身は空っぽ。
紫色のカバンは、白い貝殻が縫い込まれていて、インドを旅した
知人からもらったものだった。
集合場所について、それからバスに乗るまでのことは、
あまり憶えていない。
だって、誰が負けるかっていったら。
分かりきっているじゃないの。
でも、こんな時人は、誰かがかつて自分をほめてくれた言葉を、
必死で手繰り寄せるものなのですね。
「菅原さんは、ここまでずっと力をつけてきているんだから」
それは、昨日財布を失くしたことを告げたときのことだった。
財布に入っていた分を、賞金で取り戻せるかもしれないじゃないですか、
と、スタッフの一人に言われたのだった。
もちろん、それは100%の本気で言っている雰囲気じゃなかった。
でも、そうだとしても、言葉は。
ことに、今の菅原のように、なにも縋れるものがない状態の者には。
あー。そうか、そんなことを言ってくれた人もいたじゃん!
と、励まされるもので。
揺れるロケバスの中で、菅原はもう肉はないよな、肉は、と、
ただそれだけを祈っていたのだった。2回戦で鶏唐あげがでたから、
もう魚だよなー。
菅原のこの時思っていた食材、それは海老である。
前日の、胃袋の休息日に遊んだ海辺に、それはあった。
水槽に入った、なんと青い海老。
なにかの化学変化みたいな、真っ青の海老であった。
(海老だよー、海老! 海老のバーベキューだよ。
それだったら脂っけもないし、なんとか)
あくまでも、勝ちぬけるというつもりはないのだ。
脂っ気がなければ、最後まで箸が止まることもなく、
食べ続けられるというだけだった。
この当時の菅原の最大の希望は、
「箸を止めない」
だった。
と。
バスがついたようだった。
会場はここではないけれども、撮影があるという。
なんだろう。
なにか、お祭りをやっているみたいな感じだけど…
舞台が設えてあって、そこには、インドの美しい少女たちが、
待っていた。かなり若い、ほっそりした少女たちである。
しなやかな腕と大きな瞳。5人1組で、2組のチームが交互に
踊り、やがて一つの大きな組になる、そんな舞だった。
舞の後ろで奏されるのは、澄んだ高い音が空から降りてくるような、
そんな曲だった。
どこか懐かしい、そのくせ神秘的な、神々しい音楽である。
菅原は音楽に合わせて舞う少女たちに、ほーっつと見惚れていた。
無意識に手を合わせて、眼を半分閉じてうっとりしてしまった。
菅原のイメージしていたものは、「天女の羽衣」である。
よい香りがしてきれいな音楽が流れ、天女たちが
浜辺で遊んでいる光景。
番組では一瞬くらいの舞だったが、実際はそうとう長い間、
舞を見ていたんである。隣の曽根さんも、菅原を見て、
ぱっと手を合わせて、舞ってくれた少女たちへの礼をした。
司会の中村有志さんが、少女たちの中でも、一番幼くみえる少女に
質問をする。少女はその質問にたいして、すべて、
「ブタブタブタ」と、生真面目な口調で答えるのだ。
白田さんが、何歳なんでしょうね、といい、
有志さんがそれを少女に問うと、また、
「ブタブタブタ」。
その時は、けっきょく分からなかった少女の年齢は10歳だった。
白田さんは、山本さんに、何年くらい習ったんだろう、と
話しかけ、曽根さんは几帳面に手をあわせたまま立っていた。
この時、実桜ちゃんが何を思い、どんな表情をしていたのか、
菅原のいた場所からは窺えなかった。
菅原は、第4戦の焦点は、実桜ちゃんVS曽根さんだろうと
思っていた。今のところ、曽根さんは実桜ちゃんに負けつづけ
である。いくらなんでも、今度こそバリっと勝ちたいんじゃないか。
実桜ちゃんだって、納豆ご飯のときの
すべてを捨ててぼくは生きてる♪(「すばらしい日々」byユニコーン)
みたいな戦いっぷりを見せた以上、もう後には引けないだろう。
火花バチバチである。二人とも、それぞれが菅原に話しかけるが、
二人で和気あいあいみたいな光景は、この4戦前までは一度も
なかった。
つまり、二人とも、菅原には構えていなかったということだ。
アウトオブバトルの人。彼女には、用心しなくてもいいわ。
そういうことだろうと、菅原は思っていた。
納豆ご飯では、曽根さんは菅原にも負けたわけだが、
「たまたま」
のことだろう、と菅原は捉えていた。油断しすぎて、
ペースを上げるタイミングを完全に読み違えてしまったのだろうと。
ご飯はスパートが効かない食材だから、ペースが落ちると甘く
思っていた菅原が全然ペースを落とさなかったことで、
よけい、調子が狂った、それだけだろうと。
これを謙虚と取る人は、善人すぎるかもしれない。
菅原は、自分に対する欲求が強い女なのかもしれないではないか。
言葉を換えれば、欲の深い女。
もっと。もっとあたしにはできるはず、という思いがあればこそ、
たまたま勝てただけよ、と、
本気で思っていた、それだけかもしれないのだ。
謙虚な人間ほど、欲が深い。
菅原の考える人間の真理である。
ブタブタブタの会話は、実際にはもっと長かった。
だから、空想癖のある菅原はひたすら、天女の物語に
浸っていた。昨日のパラセーリングの影響もあったのであろうか。
花と音楽の漂う海の上を、ふわふわ舞う天女。
少女たちは、あくまで澄んだ瞳で舞台に控えていた。
ところが、次の瞬間、菅原を厳しい現実に引き戻す
一言が発されたのであった。
「そう、もうおわかりですね。食材は豚だあ」
菅原は、一瞬にして女人のふくらはぎに見惚れて、
墜落した仙人になってしまったんである…(つづく)