なぜ声をあげなかったのか私は。 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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子どものころから、本やマンガがあれば、

しあわせーだったんですが。


あれは私が小学校4年生から5年生にかけてのこと。


近所の工場跡地の倉庫が、

廃品回収の倉庫になっていたことがありまして。


早い話、古本、古雑誌が山のように積まれていたわけだ。


おそるおそる、そこに積んである、

古雑誌やマンガを、読んでもいい?と、

ご町内を回ってきて、トラックから降りてきたおじさんに聞くと、


快諾。やったね!


かくして菅原は、小学校からの帰り道はもちろん、

土曜、日曜、とにかく、時間があればすぐ、

その倉庫に入り浸っていたんである。


まあー、ちょっとした、ファージョンの「本の小部屋」状態。


そんなある日。


すっかりあたりが暗くなっていたのにもかかわらず、

興が乗って、もう帰れない状態になっていた菅原。


「おーい。誰もいないよなあ」

という、おじさんの声がしたのを覚えているのだが。


なぜか、


「あ、待って!」

という一言が言えず。


薄暗がりどころか、シャッターがガラガラと降りた瞬間、

真っ暗闇になってしまい、うっすらと、自分が、

今、とんでもない状態に陥ったと思う。


でも、


今声をあげたら、


そのとんでもない状態を、固定化してしまいそうな気がして。

声を出せない。



逡巡があって、

はじめは、かすかな声で、

「出してー」とつぶやいていたんだが、


おじさんのトラックのエンジンの音が、

シャッターにあてた耳に伝わってきた瞬間、

絶望的な気持ちになって、シャッターをこぶしでたたいた。


絶叫した。叫び続けた。


出して、ここにいるよ、出して!


それでも、叫び続けても、無駄だと悟って、

私は山積みにされた雑誌を上って、倉庫のかなり上にあった、

あかり取りの窓から脱出することにしたのだった。


5メートルくらいはあったと思う。

よく雑誌の山が崩れて、下敷きになるという参事に至らなかったものだ。


そんな蛮勇があるなら、そもそも、どうして、

「待って!」の一言が言えなかったのか。


窓から無事に脱出したものの、そこをタバコ店の主人に見つかってしまい、

この失態は両親にもばれてしまった。


廃品回収の倉庫はいつ頃まであったのだろうか。


さすがに気が咎めて、その倉庫に行けなくなったのだが、

中学生くらいになったある日、


ふと、どうなったかと思って、

覗いてみたのだが、


あの倉庫は取り壊されており、


後には妙に背の高いタンポポが勢いよく生えていたのだった。


ほんとうに、なぜ声をあげなかったのだろうか私は。


そしてそれは、過去の話だけではないのである。