三宅智子さんと私 第七回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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さて。

世の中には、チャレンジメニューや、デカ盛と呼ばれる、

ありえない量のメニューを出すお店が存在している。


菅原も、大食いというジャンルに出入りするようになって、

2年が経つのだが、その結果、


忽然悟入っちゃあ、おおげさだが、


わかったことが、一つある。


そういうお店のご主人というのは、

非常に優しく、子供っぽい笑顔の持ち主が多いということである。


考えてみられよ。


けっこうな材料費と

人件費(時給の一番高いご主人自ら製作するんである。

どんだけのもんであろうか)をかけて、


丹精こめて作り上げたメニューを、

いきなりやってきたチャレンジャーが

代金無料はおろか、

賞金までかっさらっていくんである。


チャレンジャーに塩を撒きたいくらいのもんではないか。ふつう。


だが、菅原はいつも、破顔一笑ののちに、賞金を手渡されてきた。

いやな対応をされたことなど、一度もない。


大食いチャレンジメニューは、採算度外視で作られている。

でっかい、食べきれないようなメニューを作る歓び、

チャレンジャーとの、火花散る、魂の戦い。

気持ちよく食べきった挑戦者への尊敬と感謝。


菅原が、店のご主人たちから受け取るのは、

そういった、無邪気な、よい意味で稚気にあふれた、


純粋な心である。


とん陣のご主人も、その例に洩れない。


だが、菅原が電話をかけたこの日、返ってきたのは、

「女性記録更新?無理じゃないかなあ」

で、あった。


菅原は、愕然とした。憮然とした。

危うく悄然として、チャレンジをやめようかと思ったくらいである。


「お客さんは、どこから?」

「岩手県からです」


しばし、間があった。


岩手だったら、チャレンジオッケーなのか?



「あのー、もしかして、お客さん、わんこそば大会で優勝した女の人かい?」

「そう、そうです!」

勢いづく菅原だった。


菅原が盛岡の全日本わんこそば選手権で準優勝(女性トップ)したのは、

2006年11月11日のことだった。


その大会で声をかけてきた、他の選手に、毎年二月に花巻で開催されている、

わんこそば全日本大会への出場をすすめられたのだった。


この時も、大食いにかかわる人間の、奇妙といっていいほどの寛容性に、驚く菅原であった。


ふつうの世界では、女に負けたらプライドが許さん、ってなもんで、

口も利いてもらえなくなったりするもんだが、

大食いの世界では、女も男もなく、勝利者へのほのぼのとした憧れと、

大食いを楽しむ同志としての友情があるのみである。


この時、菅原に声をかけてきたのは、秋田市の若い男性であった。

いつかお礼を、と、思いながら、まだ果たせないでいる。


閑話休題。


そういうわけで、菅原は花巻の全日本わんこそば大会に出場し、優勝した。

5分225杯。盛岡の大会より、一杯あたりの分量は少なく、お給仕の仕方も独特であるので、

単純に杯数の比較はできない。


端的にいうと、

盛岡のわんこそば選手権は、大食いに近く、

花巻の全日本わんこそば大会は、早食いであろうか。



大会新記録でもないし、女性新記録ですらないが、この時菅原は、かつてないほど集中することができた。

宇宙空間の、一切の音も光もない場所に浮かんでいる自分をイメージする。

そこに存在を許されているのは、


己と、


一口の蕎麦、


だけである。


一秒が、一分くらいに引き伸ばされ、

蕎麦が自分のお椀に放り込まれるのが、

スローモーションで見える…


ちなみに、その大会の前日が2007年春の女王戦、東京予選であった。

菅原は地方大会の優勝者ということで、東京にゲストとして呼ばれていたのだった。


三宅さんは、予選一回戦で、コロちゃんコロッケ50個、3kgを完食して、

東京予選をトップ通過した。

菅原は、「エステ三宅」と連呼される、注目選手である三宅さんに、


いつもニコニコしている人、


だな、とは思ったが、それだけだった。


むしろ、あまり笑わない、ミステリアスな金髪の


池田亜紀さんに、興味を持って見ていた。


池田さんは、辞退する選手がいたため、繰り上がりで二回戦に進んだのだが、


菅原は二回戦は見届けることなく、地元に帰ったのだった。


のちに、番組スタッフから池田さんが二回戦ではトップをとり、

女王戦で再会できると知って、喜んだほど、

この日の菅原の目には、

三宅さんはあまり印象に残らなかったんである。


また、三宅さんは芸能人で(じつは当時はまだ芸能界に入ってなかったのだが)、

一般人の菅原などに興味はないだろう、

と、思い、あえて話しかけなかったのも確かで。


三宅さんと曽根さんが、控室で楽しげに話すのを、ぼんやり眺めながら、

菅原は、岩手の地を思い、明日は、吹雪かないといいなあと考えていた。

三宅さんと菅原、二人が親しくなるのは、まだ先のことだった。


この時菅原は、ミヤケトモコという自分より20歳若い女性について、

まだ何も知らず、知ろうとしていなかったのである。(つづく)