三宅智子さんと私 第四回 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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菅原はわが耳を疑った。


「生徒たち、全部で12人、あと、俺で、13人ねー」


なんだと。


じつはこの大会は、先着20人が参加できるという、地元密着型大会だったのである。


だからこそ、二時間以上も海辺をうろついていた菅原だったのだが。


しかも受付10分前ではないか。押しが強い人間というのは、こういうもんなんである。



菅原は、その、どうやら中学野球部の部長であるらしい(男が受付嬢に大きな声で話していたのである)男が、


イエスの弟子の数だけ生徒の名前を書き連ねている姿を、なすすべもなく、見守っていた。


男が去るや否や、殴りかかる勢いで、エントリーナンバー14、


の下に、自分の名前を書いた。


受付のお姉さんが、


あら、あなたテレビの大食い王に出ていた菅原さんね、とか、話しかけてきたらどうしよう、


と、一瞬妄想したが、杞憂であった。



菅原の後に、どたばたと数人が並び、ああっという間に、受付は閉め切られてしまった。


わずかな差でエントリーできなかった、若者がぼやくのを耳に、菅原は会場へ向かった。



いやー、やばかった。


こんなくだらない理由で、出場さえできなかったら、


三宅さんに顔向けができないぜ。



菅原は、そのころ、東京でフードバトルスタジアムに、


あのジャイアント白田とともに、ゲスト出演している三宅さんに向って、


なぜか、ガッツポーズをとるのであった。まだ、試合も始まっていないのに。



以前の菅原だったら、


こういう間抜けさが私らしいのよねー、と、


ゆるーく笑ってすませたに違いない。


たしかに大食いと出会って、菅原は変わり始めていた。


だが、まだそれは、萌芽にすぎなかったのである。



さらに。


東京のフードバトルスタジアムでは、若い女性が、ぶっちぎりの優勝を決めていた。


のちに、菅原と東京予選を戦い、ついには2008年春の女王戦で、


ギャル曽根を倒し、決勝に進出した、


ふつうの宮西さん(…この展開でふつうかい。笑いをとってしまったじゃないか)、


である。



物語はまだ始まったばかりであった。


つづく。



コメントを下さった方々、ありがとうございます。


全三十回の予定ですので、どうぞ、気長におつきあい下さいまし。