小説のように、あらすじがすでに設定されていたら人生など機械的に過ごされているだろう。
不可思議な時間を、恣意的に作り上げていく作業が面倒になるとき、人生の独特の味を味わえることはない。
無味乾燥とした空間を味付けできる本人は、疲れきったようなそぶりしか見せない。
脱力の人間には何が必要なのか。
人生という長い通路をただひたすらゆっくりと歩んでいる。暗く、細く、ただ漫然と進む方向だけがわかるだけである。
「今」という時間を切り分けることが虚しくなるほど、均一な時が流れていく。
感情を意識することなく、存在していることだけが自覚される。ただ、それだけなのだ。
あぁ。人生ってなんだろう。
定められたレールをひた走るロボットのようだ。違うところは、走っていることに疑問を持ってしまったところ。
やられた。