- 吾輩は猫である/夏目 漱石
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学者ぶった人たちは、何かにつけて自分がいかに博識であるかを見せびらかしたがるような会話で詰まっていた。イギリス的な皮肉的なジョークと頑固な気質は、夏目さんの得意とするところなのか。私は、クスクスと笑う箇所は何度もあったが、共感するというよりか小説だから余裕をもって笑えるというほうがより正確のような気がする。
くしゃみ先生の頑固さ、意地悪さ、独特の堕落さは今でも多くの日本人が共感するところだろう。自閉的で、妻に身の回りの世話を当たり前のように任せ、自分はより高尚な仕事があるのだと気が高い。女性という立場から言うのなら、現代のジェンダーの問題をくしゃみ先生の家庭にみることができると考える。いったい女のことを何と考えているのか。甚だ遺憾であり、メインのあらすじよりも印象に残るほどであった。
しかし、教訓的なセリフとなって心に届いたものがある。
人生は、自分の思い通りには行かないものであり、他人の意向を思うがままにコントロールするなんてことはなおさらのことである。
くしゃみ先生が人間関係も狭く、人を自宅に呼ぶことが少ないことも、自閉的な世界を確保するための適当な手段なのであろう。世間が自分の描く理想とはかけ離れていることを知った上での処置であり、期待をかけるのでなく、距離を置くことによって、社会と自己とのほどよい関係をきずいたのではないだろうか。
彼の性格からすれば、ひねくれている、かつ頑固であることからして、波長の異なる人との付き合いはお互い気持ちのいいものではなかったのだろう。書物によって、他者の存在と個性を寛容に受け入れていながら、現実の世界となると、自己表現が不器用すぎて相互の理解が不十分に終わってしまうのではないか。
妻の対応は、実に面白い。夫と対等に付き合うのでなく、立場上の不利・利点をうまく利用した対応ではないかと思う。「したたか」な女性というのは、まさにこのひとだ。
夏目さんの著作を読んだのは、失礼ながらまだ3作目である。「こころ」を通読したときは、人のある種の精神のはかなさを感じた。人がガラスのように繊細な存在であることを知らされた小説だった。
「こころ」とはうって変わって、ユーモラスな場面が多々あるこの小説は、夏目さんのうちに秘めたユーモア感覚が存分に発揮されたものだ。しかし、二つの素材は違うとしても、底辺にある精神は同質のかたちを帯びている。自己存在の危うさ、自己と他者との隔てられた精神的距離。頑固な人は、自己が不確かであるからこそ、不器用にも、一つの考えにより執着してしまうのではないか。
「私」という不確かな存在がどう生きていけるのかを説いているようにも思えてならないのだ。