能登の震災から早3週間。多くの救援の手が差し伸べられていて、避難と復旧が進められています。残念ながら200名以上の方がこの震災で亡くなられ、多くの方々がまだ避難を余儀なくされてもいます。

 

被災者の方々にとりましては、急な環境の変化、生活物資の不足、トイレやお風呂も不充分、などなどまだまだ十分ではない、と。これからは災害関連死にも如何に配慮をしながら復旧を進めていくのか。時間との勝負であろうとも感じています。

多くのマスコミを始め、今回の災害情報が流されていて、復旧にあたる多くの方々の活動にも頭が下がる想いです。

 

今朝の寝床のなかで、ふとこんな思いも明滅しておりました。

誤解を生じるかもしれませんが、これ能登地方の問題であるのかどうか、との問いかけでした。地域によれば住宅の半数が壊れ、それもお年寄りが罹災され、なおかつその中には独居の方も多くおられると報じられていました。

 

そしてなおかつ、その地で近隣、あるいは地域で長らく生活を続けてこられた方もたくさんおられ、すでに細やかなコミュニティーを形成されておられ、その関係を遮断してまで避難地に移動しなくない、と。また住み慣れた家を見捨てると空き巣の被害に見舞われる、とのコメントを寄せられていたのです、

 

専門家でもない者が物申すなどは控えなければならないと思うのです。が、仮設住宅を建てて移っていただく。復興支援で新しい家を建てても、すでにその地はコミュニティーの殆どが消滅していると云った具合なのです。

 

別言すれば、かつての地域とのつながり、相互扶助の機運もなくなったなかで、どう暮らしていかれるのか。生活基盤の支援とともに地域の生産や地元経済を元通りに戻さなければ地域の暮らしがなりたたない、とも思考するのです。

 

その要件を満たしていくには、単なるインフラ復旧や住居を立て直す問題だけではすまないと思考するのです。地域、地方の老齢化とコミュニティー復活の課題が、そこには大きく横たわっているのでは、とも思考するのです。

 

言葉を換えれば、このような全体的に地域が衰退傾向にあるスパイラルのなかで、どのように地方、地域をあらたに創造していくのか。住民の方を取り残した復興などはあり得ない、と想うのです。

 

これ視点を換えれば、わが国の地方創生、地方活性のまちづくり課題ではないのかとの問いでした。つまり地方に培われてきた伝統や生活、コミュニティーを守り、それでいて生活基盤や社会基盤をあらたに創造していく。少子高齢が進むわが国の全体課題が、奇しくも今回の能登の災害に象徴的現われ出たのではないのか。失礼ながらもそんな想いが今朝湧いていたのです。

今までのような国対地方の関係性だけでは、とても捉えきれない課題も多く包含しているとも感じたのです。どう街をコンパクトながら便利でお互いを支えながらの生活領域を創っていくのか。中長期のことを考えると、単なる災害復旧のための予算の措置だけでは済まないとも考えるのです。

 

小さいながらも活き活きと暮らせる地方や地域をどう創造するのか。今までの政治手法だけでは対処できないとも思うのです。どんなマチを創造するのか。今回の能登の災害地の復興には、復旧に加えてこれらの新たな英知が必要だ、と。

 

つまりかつての生活基盤を継承しながらも、どのような便利なコンパクトシティーを創造するのか。お年寄りたちに寄り添った暖かい創造の手が今こそ必要だ、と今朝の寝床のなかで感じておりました。

 

どのような地方や地域を創造していくのか。政治家の政治家たる所以もそこにはある筈です。本来の政治を取り戻す。失われた40年のあらたな変革の地歩を能登の地にも築けられるのかどうか。

 今朝は、「しっかりしなはれ!」の声も聞こえておりました。

      2024年1月21日 NOBU

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