「お前は頭に木が生えてきても生きたいか?」
塾の教師からこんな質問を受けたことがある。
小学生の私はなんと答えてよいか分からず無言でいると、
「俺は、頭に木が生えて、さらに全身に苔が生えても生きたい」
とその教師は言った。
結局、私の脳裏には、
頭に木が生え、苔だらけになった教師の姿だけが残った。
その教師が、60代半ばで亡くなったのを聞いた時、
再び木が生えた姿が思い出され、願いが適わなかった無念さを思った。
大人になった今、教師の質問に答えてみる。
「木が生えたら切って帽子や、ヘアウィッグで隠すので生きていたいです。
でも、苔が生えたら生きていける自信がありません・・・」
この話は、実は私の人生感に多大な影響を及ぼしたのかもしれない。
教師の死後、私は何の為に生きるかを考えたからだ。
そして、
「自己満足のために生きる。」
と言う結論に達している。
理由は円満解決になるように思うからである。
まじめに働くのも、
家族のために尽くすのも、
慈善事業に参加するのも、
ギャンブルに生きるのも、
極貧節約生活をするのも、
その人の自由であり、やりたいからやる。
見返りなど望むものではないのだ。
こう考え、他人の生き方も認めるようになった。
間違った生き方、無駄な生き方などはないと思っている。
ただ、自分勝手な行動をする事は許されない。
殺傷行為などの犯罪行為はもちろんのこと、
他人を害するような生き方は
秩序ある場所では絶対に認められないのだ。
もし、どうしても害する行為で満足を得たいのなら、
それが許される場所で生活するべきだと思っている。
弱肉強食のサバンナで素手でライオンと戦えばよい。
兵士を募集している国に行き、職務として戦えばよい。
地球上に存在しないような無秩序を好むなら
宇宙に行くか、それが無理なら地獄へ行って貰いたい。
・・・妙に興奮してしまった。
映画以上に厳しい現実のニュース、故意に平穏を乱す生き方を見るにつけ
私は小心者ながらも、毎日憤りをおさえられずにいる。