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Hon Taku の With My Soul

「感想記録用ブログ」
ときがながれてのこるものはめにみえないものだけ

第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺(くまのざん こくぞういん いしてじ)

 

道後温泉まで1kmというロケーションにあり、

四国霊場であると同時に松山市の観光名所としての一面を持っている。

 

 

ここは少々パラダイスの感が強い。 

 

 

 

雰囲気のある回廊を抜けていきます。 

 

 

仁王門が国宝。 

 

 

 

漁師の大漁祈願もあるようです。

 

 

三重塔は残念ながら改装中。

 

 

でかい五鈷杵の奥に本堂があります。

 

 

大師堂。

 

 

韋駄天さん。

 

 
マントラ洞窟。 
このお寺、いたるところに少し不気味な木彫りの像が置かれています。

洞窟の入場料100円を支払って入洞しました。

 

 

「マントラ仏の生命の流れ案内」 
説明を見てもよくわかりません。

 

 

薄ぐらい洞窟がけっこう長く続いていました。

 

 

そこを抜けると廃墟とも言うべき施設に到着します。

どうもここは石手寺永代供養納骨壇のようです。

いずれにしてももう少し整備をするべきかなとは思いました。

 

 

五百羅漢さんなのでしょうね。無造作に置かれています。 
ちょっとコンセプトの把握が難しいですね。

 

 

 

 

第2洞窟もあったようです。入っていませんが。

 

 

洞窟を抜けるとこの立体マンダラのようなところに出てくるようです。

 

 


石手寺名物の焼き餅を買いました。1枚100円。
中のあんこがトロっとしていて美味しかったですよ。

 

 

第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺(ひがしやま るりこういん はんたじ)

 
孝謙天皇の勅願で行基菩薩が開いたとされる。 
一遍上人の修行の地としても知られている。 

 

 

奥から森崎さんが走ってくるところですね。 

 



手水の龍あり。

 

 

 

四代将軍の家綱は3体ある念持仏の1体を

繁多寺の歓喜天に祀ったとのこと。 

 



少し山を上がったところにありますから景色が良かったです。 
 

第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺(さいりんざん さんぞういん じょうどじ)

 

本尊は行基菩薩作の釈迦如来。
女帝孝謙天皇の勅願寺として開かれた。 
空也上人とゆかりが深く、かつてこの寺を訪れた際、

自ら掘った像が本堂の逗子に安置されている。

 

お寺からいくらか遠い駐車場に停めました。

もっと近いところに駐車場があったのでそっちにしとけばよかったな。

駐車料金は一律でお支払いしました。

 

 
ここは立派なお寺でしたね。

 

 

仁王さんあり。

 

 

 

石づくりの手水の龍あり。

 

 

 

第48番札所 清滝山 安養院 西林寺(せいりゅうざん あんよういん さいりんじ)


寺の前には小川が流れ、

罪深い人は境内に入ると無間地獄に落ちるとされ伊予の関所寺とも呼ばれる。 
行基菩薩が聖武天皇の勅願で開いた時は一宮別当寺として建立された。

 

少し顔の顔の大きい仁王さんがいました。 

 

 

手水の龍あり。特筆点なし。

 


水子供養のお地蔵さまですが、

木の天然の形を生かした屋根がついていました。

 

 

 

大師は干ばつに苦しむ村のために錫杖で地面を突き清水の水脈を見つけたという。

この泉は「杖の淵」と呼ばれ、寺から300mのところ今も残されている。

 

ちょっと見に行ってみました。車で2~3分のところ。

小さな子供が家族連れて遊んでいました。良いですね。

 

 

「この流れの中では遊ばれません」

「~できない」というのを瀬戸内地方では「~できれない」といいますが、

このレ入りの表現をこないだ関西の両親に指摘されたところでした。

 

 

確かに水が綺麗でした。中の藻も綺麗に育っているようでした。

 

 

ここを西林寺の奥の院としているようです。

 

 

松山にはいたるところに俳句ポストが設置されていました。

「俳都」だそうです。

 

第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺(くまのざん みょうけんいん やさかじ)

 

役行者が開いたとされ、八つの坂を切り開いて寺を建てたのが名前の由来。 
兵火で消失して以降、縮小されていたが、かつての修験道が復興された。

 

 

今回は歩き遍路をされてる外人さんのお遍路さんの姿も目立ちました。 
外人さんたちが真面目に巡礼されている姿は好印象です。 
逆に私たちがキリスト教圏に行ったとして、

歩きでサンティアゴ・デ・コンポステーラを

巡礼できるかというとなかなか難しいと思うので。 

 

コンクリートづくりの本堂地下には8000体の阿弥陀如来が奉納されている。 

 

 

本堂の彫刻に三猿がいました。 

 

 

大師堂。

 

 

本堂と大師堂の間に立つ閻魔堂には極楽と地獄の道があり、

極楽浄土と地獄の絵図が描かれている。

 

天国と地獄のうち、天国の中に人間界が含まれているというのは

特筆するべき点だと思います。今いるところで幸せを見つけて

日々生活するというのも大切だなと思います。 

 

 

山門の天井に描かれた極楽浄土も見逃さないように。

阿弥陀如来が楽団と共にやってくる様子が描かれていますね。 

 

 

 

二匹体制の手水の龍がいました。 
岩の向こうからニュっと体を出した様子が可愛い。

 

団体客と並走するのも嫌だったので、
いったん順打ちの順番に戻ることにして浄瑠璃寺に向かいました。

途中に海響市場というのがあったので、より道をしてここで昼食を食べました。 
ゑびす丸というレストランがありました。少し待ちましたが、

ここで宇和島鯛めしを食べることができました。

 

 

 

肉厚の鯛が6~7切れ載って1600円ほどだったと思います。

美味しかったですよ。 
 

 

愛媛といえばみかんジュース。愛媛「なつみ」ジュースを買いました。

昆夏美さんがインスタグラムに掲載されていたのでタイミングが良かった。

 

 

 

第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺(いおうざん ようじゅいん じょうるりじ)

 

松山市に入って最初の札所。寺を開いたのは行基菩薩。

寺の名前は薬師如来がいる東方浄瑠璃世界にちなんでいる。 
後配していた寺を弘法大師が修復して四国霊場に定めた。

江戸時代の火事でほとんどが消失したものの70年後に再建。

経済を散策するとご利益がある様々な石がある。

 

 

亀とカエルがいました。

 

 

お釈迦様が説法をされ修行をされたインドの石が埋め込んである説法石。

 

 

仏足石。

 

 

仏手石。

お釈迦様の指紋。面白い指紋をしていたのですね。

 

 

高さ20mと境内で一際目立つ樹齢1000年を超す大樹がありました。 
緑に溢れていて気持ちのいいお寺でした。 

 

 

第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺(りゅううんざん ごじいん たいさんじ)

 

一夜建立の御堂という言い伝えがある。

大分の富豪が船で嵐にあった時に観音様に祈願したところ、

無事にこの地にたどり着いたため一夜にして本堂を建立したという伝説。

現在の本堂はそれから3代目で真言密教では最大規模を誇っており国宝になっている。

仁王門も国の重要文化財になっている。

 

念ずれば花ひらく。 

 

 

 

先ほどの団体客と同じ経路をたどってしまいました。

同じく逆打ちで進んでいくのでしょうか。

駐車場からえ少し歩きました。こちらは健脚ですから、

スピードを上げて山を登ることで団体客から逃げるようにお参りしました。

 

 

松山は俳句の街です。いたるところに正岡子規の句碑が。 



唇の赤いお大師さん。

 

 

仏足石。お釈迦様のおみ足。

お釈迦さま涅槃のあと仏像が作り始められるまでの600年の間は
こうして足跡を写し取って礼拝したものです。

仏教も偶像崇拝が行われてこなかった時代があるのですね。

 

 

本堂手前の門には四天王がいましたが、

あまり状態は良くなかったです。顔がないものもありました。

 

 

 

 

本堂は国宝に指定されています。

鎌倉時代の建立です。立派なお堂でした。
子供たちが写生大会をしていました。

 

 

大師堂。

 

 

合格祈願の聖徳太子堂がありました。

 

 

納経所近くの瓦の装飾。色々な形があるのですね。

 

 

松山に行きました。

この日曜月曜で松山を終わらせて今年中に満願に向けて計画が動き出します。

 

東京で働いていた頃の盟友が八幡浜にいるので

松山まで出てきてもらって一緒に飲みました。

中華料理でした。

 

松山の中心街。 

 

 

麻婆豆腐。

 

 

五目おこげ。

おこげの上にあんかけをかけるアトラクションが好きなのです。 

 


念願の八幡浜の梅美人酒造を飲むことができました。

昔話や同業の話に花が咲き、べろんべろんに酔っ払ってしまいました。

 



そんなことで翌朝は出発は10時スタート。 
 

第53番札所 須賀山 正智院 円明寺(すがざん しょうちいん えんみょうじ)

 

四国霊場最古の銅板納札が保存されている。

聖武天皇の勅願で行基菩薩が開いた。

 

 

顔の可愛らしい仁王さんがいました。
 

 

 

しょっぱなから団体さんとかち合いました。

やはりこちらの参拝のリズムを崩してくるのでストレスです。

霊場会はこの問題をどうにかした方がいいのではと思いますが、
まとまった納経代金が入ってくるのも事実ですから
線引きが難しいところではあると思います。

 

 

 

大師堂の瓦の装飾が凝ってきました。

虎と鳳凰でしょうか。ドラゴンのような瓦もありました。

 

 

亀ですね。

 

 

鳥ですね。

 

 

江戸時代に隠れキリシタンが礼拝したとされるキリシタン灯籠には

聖母マリア像が刻まれているとのことです。

 

 

パンがなければ、お寿司を食べればいいじゃない!
ということで、令和六年度の #アントワネットまつり を開始します。
 

 

まさか…信じられない…殺されてしまった…
万里生はフェルセンが似合う。

フランスもアメリカ独立戦争に加担したから

金がかかりまくったわけで他国に片入れするのは良いことない。 

 

皇后はついに気づき始める。その美貌が役に立つと。

トラブル逃げて行く。ドレスこそは武器。

両方とも花總まりさんだけど説得力あるよね。

 

ドレス屋のローズベルタン、ずっと同じ衣装を着てる?

グランモゴルってパレルワイヤルの近くにあったそうな。

パリからベルサイユにドレスを作っては運んでたってことなのか。 

 

パリのミュージカル、パンを盗みがち。

最近、壁抜け男を聴いてたけどデュティユルさんもパンを盗んでた。

アントワネットパートとマルグリットパートが

交互に来るのも見てて飽きない理由かな。

 

上げて下げてパンパンパン!

孤独という名のドレスを着て、立ち尽くすしかできない私…。
「孤独のドレス」の歌詞がすごく好きです。

 

一方で、首飾りが出てくるときの曲、
初期演出で祐さまカリオストロが歌う「幻の黄金を求めて」という曲ですね。

現行演出ではカリオストロやシスターアニエスは登場しないけど

上手く曲が活用されていて良いなと思います。初期演出は観たことないけど。

 

「愚かな者ほど騙されたがる
きわどい記事もとめる事実よりも」
…なんだか今にも通じるな。

 

「泣かないで」も好きになってきた。 

 

「憎しみの瞳」まじかっこいい。

この曲の現場ってチュイルリー宮殿なんですね。

今はありませんがルーブルの西側でした。

当時の革命広場から、アントワネットの最期の景色に

チュイルリーとコンシェルジュリーが映ったのかな、と思いを馳せてみます。

またパリに行きたいな。

 

裁判のシーンの微動だにしない花總アントワネットすごすぎるな。
歴史の本そのままだもの。

 

塩田先生の指揮が恋しいよう。

 


次の再演は他演目同様に
だいぶキャスト変わりそうだな…。

三谷幸喜の初テレビドラマ監督作でWOWOWで放送されたものです。

 

2時間近いドラマを「完全ワンシーン・ワンカット」で撮影。

出演者は中井貴一、鈴木京香、梶原善、の3人だけですが、

妻の親戚の葬式に行った帰りに山道で迷子になる二人。

そこに妻の幼馴染の梶原善が登場します。

 

ずっと山道を歩きながらの芝居、

どこまでが脚本でどこからがアドリブかわからないくらいですが、

疲れながらも最後まで観ることができました。

演じきる俳優陣はすごいと思うし、やっぱり三谷先生のセリフ劇は聞きやすい。

同様に舞台っていつもカットがないわけだから凄いと思います。

 

中井貴一さんがめちゃめちゃにやられる姿は

「記憶にございません!」ともかぶる部分があって面白い。

そういうところから黒田総理のオファーがあったのかな。

 

そして梶原善さん。

妻の幼馴染ということで小野田っちがよぎる。

なんならひろ香祐サンの顔までよぎるようになってしまった。