こんばんは。
気付けば二日間更新をしていなかったので、
その分更新を‼(笑)
今回は今の私ができるまでをちょっと。
私の家族は大元は、両親と1年離れていない姉と二人姉妹の4人家族。
小学校2年生の時に父親が愛人が出来て、一度家を出ていった。
あのとき、車に荷物を詰め込む父親を必死で泣いてすがり付き、無情にも去っていく車を転びながらどこまでも追いかけたことは今でも昨日のことのように覚えている。
それはもうドラマのように、膝と手を擦りむきながら、土手を走ったものだ!(笑)
結局父親はすぐに帰ってきてくれたが、
それは私たち(多分私)のためで、
夫婦関係は崩壊していた。
…というよりは、夫婦関係は、
実際はとっくに崩壊していたから父親は愛人を作ったんだろうけど(^_^;)
実際母親は、お姉ちゃん命。
家の中は全てお姉ちゃん中心。
お姉ちゃんがお腹が空いたと言えば夕飯の時間。
お姉ちゃんが勉強すると言えば、
私は終わるまで家に入れてもらえなかった。
だからお姉ちゃんはワガママで、
学校でも気に入らないことがあると
すぐに荷物まとめて帰ってくる。
友達もいない。
だから、遊ぶときは私の友達と一緒。
まぁ~年子なので、何にもおかしくはなかったのですがね。
母親はお姉ちゃんと一緒に寝る。
だから、私と父親は自分達でチンしてご飯を食べる。
お姉ちゃんは勉強が得意ではなかった。
だから私が100点取って母親に見せると、
いつも「お姉ちゃんに対する嫌みか!」
と!その場で破り捨てられた。
今思えば、あのとき父親は、
きっと私の身を案じて戻ってきてくれたんだと思う。
父親は、私をとても可愛がってくれた。
追い出されるときは父親と一緒に外で時間をつぶした。
でも、その裏側では、父親は愛人と繋がっていた。毎年お中元とお歳暮を実名で送ってきていた愛人は、今思うとものすごい挑戦状叩きつけていたんだな…(^_^;)と。
ってか、子供がそれをずっと知っているってどういう状況だよ‼(^_^;)
だから、母親は寂しかったのだろう。
どんどんお姉ちゃんとの世界を築き上げていった。
まぁ~原因作っているのは自分なんだけどね。(笑)
いつの頃からか、私は母親と話すことはなくなった。
顔を合わすこともなくなった。
やがて中学生になり、私立に合格。
それは親が決めた学校で、試験の日に初めていった学校。
しかも、その学校は、お姉ちゃんがいきたかった学校で落ちてしまったからだったそうで、合格したときの一言。
「あんたはどこまで嫌みなんだ」
…受けろと申し込んで受けさせたのはお前だろうが!!!!!
と当時は思ったものです…(;´д`)
私立なのでお弁当。
私のお弁当は白いご飯に焼いた鮭がドン!!!!!とおいてあるのみ。
初めてのお弁当で(遠足以外のね)
机つけて友達と食べようと開けた瞬間に閉めて、外にお弁当を捨てましたね。
…今思えば、なんて無駄なことを!!!!!
形はなんにせよ、親が作ってくれた(と言えるかは定かではないが…)ものを…自分が稼いで買って作ったものでもないものを捨てるなんて‼(怒)
今の親の立場なら、
自分の立ち位置勘違いすんなよ?
と言っちゃうね!
まぁ~でも、「私にたいして」であって、お姉ちゃんにはきちんとしたお弁当を作っていたので、当時のその差別はやりすぎだと思うんですけどね~。
でも、おかげで自分で料理を覚えましたね!
サンキュー母親。
すぐに母親のお弁当はなくなったけど、幸いバブルの時代だったのでお金はもらえる。
私はお金は不自由することがなかったので、
その点では、うちの子達よりも恵まれていたな。
高校にはいると、父親と愛人の関係が汚くて、怒りを感じて、父親と口も聞かなくなりました。
あのとき、もう会えないのが分かっていたら、あんなことしなかったのに(T-T)
きっと、「もうこの子に俺は必要ないな」と思ったのでしょう(T-T)
父親は私の高校卒業と同時に家を出ていった。そして私は一人になった。
…バカだよね!本当にバカ!
大好きな父親に捨てられたのは自分のせいだよね…。今でも後悔!(;´д`)
そして親戚。
どっちの家にとってもお姉ちゃんは初孫。
私は父方の祖父母からは「◯◯ちゃん(お姉ちゃん)ともう一人」とよばれ、固有名詞はなかった。
母方も初孫。
何故か、階級つけるのが好きで、お土産、プレゼントは全てお姉ちゃんだけ。
唯一おじいちゃんがその状況を可哀想と、遊びにいくたびに、私だけを連れて出掛け、色んなものを買ってくれた。
でも、そのおじいちゃんは私が3歳の時に死んでしまった(T-T)
今でも覚えてる。
3歳前の記憶なのに、自分よりも大きなぬいぐるみを引きずりおじいちゃんにねだったこと。(笑)
おじいちゃんの秘密の隠れ家(喫茶店)を「トラキュラの家」と何故か呼んでいたこと。(笑)←なぜなのかわからないまま今に至る。
そんなこんなで、
血の繋がりのなかで受けた愛情はごくわずかな私。
愛情の意味すらわからないまま育ち、それはもう人を傷つけること(心をね)に非常に長けていました。(;´д`)
もう、そりゃ攻撃的で、何か頭が良かったのかな?
「この人はこう言われたら終わる」的なその人その人の弱点が不思議と見え、あえていつもそこを攻撃してた。
よく誰も自殺とかしないでいてくれたものだ…
本当、ごめんなさい‼
そして親になる。
ここで初めて「血の繋がる無償の愛」を知る。
子どもの父親は、女の子がほしかったと、娘が産まれてすぐに息子を亡きものにしようとする。本当に命に関わるからと逃げる。
まぁ~実際はそのほかにも、借金だらけ、仕事続かない、毎年女作るなどなど、人間として終わっている人と一緒になった私がどうかしていたんだけどね…。
あんな父親でごめん!って思うけど、
あいつがした唯一良いこと。
息子と娘を私にくれた。
何だかこうやって文字にすると、
壮絶だな…なんて思うが、
特にグレることもなく、
淡々と受けとめてきた私は案外すごいな。(笑)
あっ、でも6年生の受験の頃、ノート一冊
「お母さん死ね!!!!!」と書きなぐっていた覚えがある!(笑)
そうそう、物語とかも書くの好きだったなぁ~。
空想の世界で愛情注がれてました!(笑)
そんなだからか、子どもの辛さ、苦しみ、
孤独が手に取るように分かる。
元から、人の心を攻撃することに長けていたくらいだから、私は心を見るのが得意な分野なんだと思う。
何か…今現在進行形で苦しんでいる子どもたちの手伝いは出来ないかしら?
もちろん、多分私は非常に強い。
氷を越えた!鉄の心を持っているので、
全てのこどもたちに自分のような乗り越えかたはお勧めしない(^_^;)
でも、そのとき一番何がほしいかは、私はよく知っている。
だって、私も欲しがっていた側だからね。
何かお手伝いは出来ないものか…
はてはて。
ちょっと真剣に模索してみよう。
そんな風に思う今日この頃です。