こんにちは。
今日はすっかり雨模様ですね(>_<)
雨は降らないのね~なんて安心してましたわ(-_-;)
ところで、
今度葛西水族館へ生活科見学に行く娘。
葛西と言えば・・・
ミツクリザメが展示されています!!
11/1に入ったかなり状態のいい子だとか・・・
先日、あわしまマリンワールドにミツクリくんが展示されましたが
わずか一週間で死亡。
最後の最後まで展示したのですが、ちょっとした論争に。
研究者の視点からすると、やはり死は当然訪れるもので
最後の最後まで展示を行い、後世につなげていきたいという。
それはもちろん素晴らしい考え。
研究者としては、一つ一つの命が大切なものであって
「生きているから」「死にそうだから」「死んでいるから」という
垣根はないのです。
それは命を大切に思っているからこその発言。
でも、私個人の意見としては、
もう死ぬの待つばかりの上を向いてしまっているミツクリくんの
姿を誰にでも見れるようにしてほしくなかった。
なぜかというと、以前水族館に行ったときのことですが
死に面している魚がいました。
やはり、海底に横たわり、口は動いているもののもう死を待つばかり。
そこに親子がやってきて
母「わ~汚い!死にそうな魚がいるじゃん!さっさと片付けてほしい!!」
と。
子ども「汚いよね~~」
なんて、死にそうな魚を前に言いたい放題。
「死」は汚いもの
「死」は怖いもの
それしか子どもは教えてもらえないのか・・・
気の毒な子ども・・・
そもそも、自然界にいるものを勝手に捕え
欲求を満たすためだけに展示されている魚たち。
本当はもっと広い海でのびのびと生きていたかったはず。
もちろん、自然界にいたならば、当然脅威とも背中合わせで
実際水族館にいるから、長生きで来ているという子もいるだろう。
でも、そうやってあるべき姿では生きられず
みんなに生態を見せることで、いろんな勉強をさせてくれる魚たち。
ミツクリザメにしたって、いまだ飼育は確立されておらず
最長2週間というとても短い命。
でも、死してなお、解剖、研究されて、未来の役に立っている。
感謝してこそ、「汚い」という表現は言語道断!怒
そういうやつらに一生懸命生きようとしている姿を見られたくなかったんです。(T_T)
一生懸命生にとどまる姿を侮辱されたくなかったんです。
「生」の対極として「死」がある。
「生きている」から「死ぬ」のであり、それは誰にでも平等に訪れる。
そして、「死」がるからこそ、人は生を大切にできる。
これって、「褒められる」と「怒られる」の相互関係と同じ。
「怒られたくない」から人は踏みとどまる。
「褒められる」から嬉しくて人は頑張る。
それと同じで、終わりがあるからこそ、人は「生」を楽しめるんだ。
「生」が終わりのないもので、ずっと続くものであったら
人はきっと大切にはしないだろう。
「いなくなることのさみしさ」を知っているからこそ
「一緒にいる喜び」があるのだ。
そう考えると、「死」は決して汚いものではない。
「死」は私たちに「生きている」ということを教えてくれる大切なもの。
生きているからきらめくんだ。
生きているから喜びや悲しみを味わえるんだ。
死んでしまったら、苦しみもないけど、喜びもない。
会える喜びや、誰かを愛する心。
もちろん、その対極には別れの悲しみや傷つく心があるのだが
そういう感情の一つ一つが「生きている証」であって
それを味わえる喜びを感じるべきなのだ。
悲しくて、もう傷つきたくなくて・・・すべての感情をシャットアウトしようと
死を選択する人もいる。
でも、明けない夜はないように、悲しみしかない世界はない。
その先に待つ、出会いを、喜びを見ずに「無の世界」を選択するのは
もったいないよ!!
「死」というものが、汚いだとか怖いもの教えられず
「生」の素晴らしさを教えてくれる貯めの大事な要素であるという
正しい教育がされるといいな・・・
なんてつくづく思った今日この頃です。