2年前の10月3日、
最後となった岐阜大学動物病院での1枚です。
このとき、ゴンに残された時間は1週間でした。


母の供養にゴンと知多四国霊場を巡っていた頃によく、母と1週間だけ一緒に過ごせるとしたらどう過ごすか、と、意味のない問いかけをハンドルを握りつつ自問自答していました。
最初の1日は一緒に知多半島を巡る、でも残りの6日はきっとどこへも出かけずに家で過ごすだろうなと考えたものです。
いろんな場所に出かけて、きれいな景色を見て、おいしいものを食べて、でもどこに出かけて何を食べたらいいのかわからず、結局は家で過ごすことに落ち着くだろうと。
何もしない、
ただ一緒に過ごす、
そういった時間が途方もなく愛しく思えて仕方がありませんでした。
ゴンに残された時間が、あと1週間だとわかっていたら5回目の治療として10月3日に岐阜に行くことは取りやめていたでしょう。
辛い治療はもうしない。
自宅で過ごす。
でもこのときのゴン兄は、ゴンの癌をやっつけることしか頭にありませんでした。まずは痛みを取ってやり、癌細胞を小さくして寛解に持ち込む、薬も減薬できて、不細工もいなくなり、元のハンサムなゴンと再び穏やかな毎日を過ごす。
そんな未来しか見えていませんでした。
1週間後にお別れが来るなんてこと知らずにいてよかった。知らされずいてよかった。ゴンを失うことがゴン兄にとってこの世で一番恐ろしいことだったので、そのようなことがもしわかっていたら、きっと尋常ではいられなかったでしょう。
3つのいずれの病院でも余命半年と告げられてなお医師たちの言葉を現実として受け入れられなかったのは、ゴンとはまだまだ一緒に生きられるといった根拠のない自信が己の中にあったからです。そう信じることによって押しつぶされそうな不安と向き合っていたのかもしれません。

ゴンと1週間だけ過ごせるとしたらどう過ごすか。
岐阜の町をゴンと歩きたい。
通院のためではない岐阜の町を、あの日、歩くことが叶わなかった岐阜の町をゴンと歩きたい。
どこかのコインパーキングに車を止めて、岐阜の町中を、まるでそこに住んでいる人と犬のように歩いてみたい。
金華山のふもと、ふたりで岐阜城を見上げたい。
長良川の風にゴンと吹かれたい。
そして、思い出を胸に自宅に戻ったら、後の6日はどこにも出かけずゴンと過ごす。
まもなくゴンと別れて丸2年が経とうとしていますが、いまだに無性にゴンに会いたくなる時があり、父を透析の病院に送った帰りの車でひとり大声でゴーーーンと叫んでいるおバカなゴン兄です。