2022年の8月20日、ちょうど2年前、父ゴンと善光寺東海別院に出かけました。

ゴンシティからまっすぐ西へ。

その途中、踏切をいくつか渡らなければならず。

これはJR東海道本線の踏切です。

裸祭りで有名な国府宮神社に近い稲沢駅が2本の列車の行く先に望めます。


鉄道だけでなく、名古屋高速道路の下も2回くぐります。

いつも助手席でこんな風にゴン兄の左頬に触れるほどの位置で笑っていてくれたゴン。

2年前のこの時間に戻りたくて仕方がないゴン兄です。



つい先ほど父の弟(叔父)から父のすぐ上の姉(伯母)が亡くなったと連絡が入りましたが、2人ともまだ人前に出られる状況ではないため(咳がひどい)通夜も葬儀も辞退する旨伝えました。もとより家族葬らしいのでうちうちですませればよいのです。叔父も連絡などよこさなくてもよいのに。伯母は2年前に長男を病気で亡くしました。その時にゴン兄に泣いて電話をして参りまして、ヒロが死んだよと。ゴン兄より2級上のいとこのヒロくんとは子供の頃よく遊びましたが、成人してからは全く会う機会もありませんでした。ヒロくんにとお供えを伯母に送ったところ、また涙ながらに電話がありました。でもゴン兄は特にそれ以上の気持ちを抱くことはできませんでした。8年前の母の葬儀の折にこの伯母にひどいことを言われて以来ゴン兄はそのことをずっと根に持っているのです。母を失うという人生で一番悲しいときにかなり辛い思いをしましたので。伯母もこんな甥に死に顔など見てもらいたくないでしょう。

ゴンが息を引き取ったとき、もう2人の弟に二度と会えなくてもいいからゴンの命を戻してもらえないかと真剣に思いました。一年に一度会うか会わないかの弟たちの事はもうどうでもよいと。ましてや親戚の連中の誰にも会えなくてもよいからと。この先、自分にこれ以上の悲しみが訪れることはないだろうと思いました。どんな葬儀に参列しようと涙はこぼれないだろうと思いました。そんな気持ちで果たして葬儀に出る意味があるのかとも。かなり歪んだ考えかもしれませんが、もともとゴン兄はそんなひねくれた偏屈者なのです。この伯母の葬儀のタイミングでコロナ後遺症の咳き込みがひどいのも因果なことだと思います。

そもそも何につけ、もうどうでもいいといった投げやりな気持ちがゴンとの別れ以降いまだに大きな部分を占めているゴン兄です。

さよなら、おばさん。

ヒロくんによろしく。