こんにちは
助産師の恵です。
ブログの更新がだいぶ不定期になっていますが、ゆる〜く頑張ります照れ



年末年始は、親戚や友人知人に会うことの多い時期だったと思います。


進学、仕事、結婚、育児、教育、介護…
私達を取り囲む環境は
年齢ごとに変化をしつつ
自分のことだけではなく、関わって行かなければならない事がたくさんありますね。


その中でも、ある程度選択肢の限られる
育児と介護目を向けてみました。
育児、介護は時間という不可逆的なものに支配されていて、選択肢を選ぶ時間が少ないものでもあります。


どちらも育児介護される側とする側の立場があり、またそれを支える周りの手があるかないかで方法が大きく変わってくる。
そして、そこに手は貸さなくても口だけ出したり、結果のみを見ることで質を問うて来る人もいる。


育児は、母親だけの仕事ではない。
「しのりん」が言っていたように
夫婦の子供であることは当たり前なのに
母親側への重さがかかっていることが多い。
仕事と育児の両立。
この場合、外に出て稼ぐことだけが仕事ではない。
介護にも同じことが言える。
外に出て稼ぐことと親の介護は時間の使い方は同じではない。


どちらも「生活」を支えている。
しかし、育児や介護は
自分の生活と人の生活を世話するということで外界とは切り離された空間での
同じことの繰り返し。
報酬もなければ、余計な口出しやダメ出しだけ
降ってくることも。



やってられない。



こう、思ってしまうことすら
罪悪感を感じながらやっている。


自分の子だから。
自分の親だから。
やらなければいけない。


そんなストレスと闘いながら
育児や介護をすることは
どれだけ精神的にも身体的にも負担だろうか。



やってられない。
開放されたい。



そう思う事は至極正常だと思う。
 

相手がある事だから、
自分の能力の無さや競争から来るものではなく
自分ではない他人の感情や感覚を手伝うこと
それ自体がストレスなのは当たり前。


真面目な人は、
そういう事を考えてはいけないと
自分を攻めることもあるけれど、
人と人との生活のペースに
ストレスを感じないほうが機械的で危険なのではないかと思う。
エラーが起きたとき、止められない。


相手があるからこそ、
相手を認めているからこそ
対人のストレスが発生するのだから。


イライラしたり、
やってられない!と思ったりすることは
罪悪感を感じることは全くない。


人の時間はそれぞれ限られている。
そして、その時期を過ごす時間も
不可逆的に止まらずに、進んでいる。


いま起きているストレスは永遠ではない


自分だけがそのストレスを抱え込む必要もない。


周りを巻き込む。
プロの手を借りるのもあり。
いい人でいようとしなくていい。


まず、自分がストレスを乗り越えられる
コンディションでなければ
前には進めないから。
生きている今の自分の時間を
どう使うかは自分のココロ次第。 



強かでいい。
女性は強くありたい。