自転車で東京から大阪まで安産祈願の旅に出かけていったダンナ。
果たして、5日間で大阪まで行き、無事オレンジフェリーで
わたしの待つ愛媛までやってこられるのか。
プロローグ
その1
その2

箱根を越え、パンクというアクシデントを乗り越え、
ダンナは静岡に突入した。

ダンナが静岡入りした日、
わたしは愛媛へと帰省した。
お昼ごろ、自宅から羽田まで行き、空港でご飯を食べ、
飛行機に乗り、高松空港へ。
香川で働いている弟が空港まで迎えに来てくれ、
弟の車で、愛媛の実家へ。
夕方には到着した。
文明の利器を利用すれば、東京―愛媛だって半日もかからないのだ。

いっぽう、人力で移動するダンナは一日中静岡を横に進んでいた。
「静岡は広い。行けど、行けど、静岡だった。」
のちに彼は語ったものだ。

さて、実家では、ダンナの偉業に、
両親も祖母も興味津々だった。
特に、父親はものすごく関心を示し、
「今ごろ、どこを走っているんだろうなぁ。」
と日本地図を眺めてばかりいる。
ダンナは「今どこ?」というサービスを使って、位置を知らせてくれるのだが、
「ダンナ君は、どこだ。どれくらい進んだんだ。」
と、しょっちゅう聞いてきて、はっきりいってうざったい。

父は、体を動かすことが大好きで、
50を超えた今もソフトボールやらテニスやら鮎釣りやら山仕事やら
とにかく外でごそごそしてばかりいる。
しかも、実の息子(私にとって弟)がそんな父の相手をしないのに対し、
ダンナは釣りやアウトドアに付き合ってくれるので嬉しくてしかたないらしい。
そんなお気に入りのダンナが夢中の自転車に興味がわいてきたらしく、
「自転車もよさそうだな。
 そうだ、四国八十八箇所を自転車で巡ったらどうだろう、
 なぁ、母さん!」

と自分の年齢も、母の迷惑も考えずに誘っていた。
「え、一人でまわってきてよ」と即座に断られていたが。。。

と、実家でうざいくらいに興味をもたれているともしらず、
ダンナはひたすらに静岡を横断し、3日目には愛知県入りした。

続く