私は過去にストレスから患った大病が2つあります。
1つは中学2年生の時の
顔面神経麻痺。
当時、テニス部に入っていましたがルールがなかなか覚えられなかったこと、当時は先輩・後輩の縦関係がかなり厳しくストレスが強く、クラスメイトのいじめもあったので、私はそのストレスから
顔面神経麻痺になり
2ヶ月
入院しました。
ある夜、姉と談笑していて姉が「変な笑い方しんといてよ」と笑いながら言うので、「えっ、私そんなんしてないよ」と言うと姉は急いで母に状況を伝え、翌日、大学病院に行きました。
何科を受診したら良いかわからなかったので総合受付で聞いたら年齢的に小児科だろうと案内されました。
しかし、小児科の医師は「様子を見ましょう。1週間後にまた診せてください」と言ったけれども母はその間に固まって治らなかったら大変と思い、当時はインターネットもなかったのでいろいろ聞いたり調べて、翌日は同じ病院の耳鼻咽喉科を受診しました。
その日の担当医は顔面神経麻痺の専門で即入院が必要だけどベッドの空きがなかったので、その担当医が毎日いる別の病院に入院することになりました。
ちょうどその頃、担当医が違う病院の専門医と共同で面神経麻痺に効く新薬を開発したばかりのため、保険外負担で当時その点滴薬1本数万円もしましたが親は私のために新薬の点滴治療を受けさせてくれました。
そのおかげで
綺麗に治り
感謝しています。
しかし、運動が苦手なのに当時の私はなぜテニス部に入ったんだろう😅
友達に誘われてユニフォームが可愛いとか、自分の適正なんて考えずに流されるままに入部したのもADHDの衝動性からでしょうね。
もう1つは
5年前の脳梗塞。
当時の恋愛が上手くいっていなかたことや、離婚前後からのストレス、子供たちの発達障害や不登校の問題など
今までの様々な
ストレスが
蓄積されて、
とうとう脳梗塞で
倒れてしまいました
朝、買い物を行きレジを済ませた直後、脳内でプッチという音が聞こえて、みるみるうちに力が入らなくなりました。
自転車で来ていたので自転に跨ごうとしても跨げず、自転車を押して帰ろうとしましたが途中で力尽き動けなくなったので娘に電話して迎えに来てもらいました。
少し休めば回復するかなとも思ったのですが、とりあえず病院に行こうと思いましたが動けないので救急車を呼びました。
はじめは脳とは思ってなく、足に力が入らなくなったので整形外科かなと思っていたのですが、消防隊員は脳関係とわかったようで
脳外科専門病院に
連れて行かれ
即入院。
この間、30分以内という
早い処置だったので
5日間の点滴と4ヶ月の
リハビリ入院で
後遺症もほとんど残らず
回復できたことは
感謝でした。
リハビリは辛いこともありましたが、それ以上に段々良くなっていく喜びのほうが大きく、その経験があったからこそ1年前の大きな金銭問題が起きたときに逃げずにちゃんと問題に向き合おうと決心することができました。
(詳しくはこちら→苦手を創意工夫で改善 | ミューズめぐみのADHD奮闘記 (ameblo.jp))
私はもともと説明したりするのが苦手だったうえに、心身の痛みに鈍いこともあり悩みやストレスがあっても相談したり、愚痴ることもなく1人で抱え込み、問題が表面化した時には最悪な状態になっていることが多かったです。
でも、振り返ってみると支援者の方には恵まれていて、あたたかい救いの手が差し伸ばされていたことに気づきました。
そのことに気づいてからは、心や状況をオープンにすれば周りからのサポートを得やすいことがわかったので、事が最悪化になる前に相談することを心掛けるようにしています。
相談相手は家族や友人より公な第三者のほうが秘密は守られて、客観的なアドバイスをいただけたり、必要な専門家にも繋げていただけるので安心できました。