本日の朝日新聞
『折々の言葉』は、白洲正子さん




『  動きは早くても

荒くならぬよう

型は多くても

粗雑に流れぬよう



お能のことです






言葉が、文章が


心にすとーんと落ちる時というのは




自分のことに変換して読んでいるものではないでしょうか





世阿弥が



つよいばかりであっては

これは 荒いのであって

真につよいことにはならない」

し、

また美しくも  面白くもない

と仰ったと。


もう、

はやいばかりであっては
これは荒いのであって…

と、変換している私がいます











抑えることで

力がこもる、

形が整う


と聞いて


私が好ましいと思う姿が浮かびます


目指したいと思っているライダーの姿が
現れます









また、こうも、



『衣は

外見を演出するものでなく


心を容れるもの』


私にはもう、黒革のライダーが目に浮かんでいます



『人のふるまいを、

生きる構えを

象(かたど)るためにある。』



走る構えを象る…

と読んでいる…





雛の日に

黒革の装束に思いを馳せているおなごであります











ブロ友さんが


唱歌     おぼろ月夜

の歌詞を1番も2番も(^_^;)載せてはって



昨夜から脳内BGMそれ。




菜の花畑に射す夕日はじょじょに弱まり


霞が深く 山の稜線はぼんやり

春風はそよ吹いて

空を見上げれば朧月



大都会ど真ん中にお住まいのブロ友さんには

日本の原風景で







丹波篠山に暮らす私には



リアル春景色であります


(^_^;)




本日、午後から雨予報のなか

菜の花畑を求めて  
さまよい出ましたが






陽射し  うっす!









春は


名のみ


でございました…




(*ノ∀`)