昭和50年(1975年)12月11日 蔵前国技館

NWF認定ヘビー級選手権試合

60分3本勝負

△アントニオ猪木vsビル・ロビンソン△

 

 この試合でプロレスというジャンルに本格的に嵌ったのかも知れない。

 そんな気がするなぁ。

 1本目が40分くらいの攻防の末、ロビンソンが逆さ押さえ込みで先制。

 ボストンクラブに決めようとする猪木さんをロビンソンが身体の回転を利して投げ、すぐさま立ち上がり突っかけていく猪木さんを仕留めたもの。

 2本目は時間切れ寸前に猪木さんが卍固めを決めてスコアをタイに持ち込んだ。

 このシーンを固唾を呑んで見守っていた自分を思い出す。

 そりゃあ、虜になるでしょ!

 改めて振り返ってもそう思う。

 この日、日大講堂だったかで、力道山追悼興行なるものが開催されていて、興行戦争となっていたことも、それを蹴った猪木新日を悪者として扱う向きもあったことも、当時の自分は知らなかった。

 日本選手権を唱えていた猪木さんの立場を悪くし、同じリングに立てない状況を作り出すという馬場全日の策略の意味合いもあったのかも知れないし、日本人エースのストロング小林、外国人エースのロビンソンを新日に引き抜かれた国際プロレスの思惑が絡んでいたのかも知れない。

 日本プロレス史の中でも結構大きな事件だったんだろうとは思う。

 そんな中で行われたこの試合の立会人としてテーズとゴッチが来日。

 レフェリーもレッドシューズドゥーガンだったかな。

 当時の新日の大一番のレフェリーと言えばこの人だったのも懐かしいねぇ。

 何にも分かっていないくせに、子供なりに権威を感じていたことを思い出す。

 ロープワークも少なく、繰り出される技の数もそれほど多くなかったのに、60分フルタイムを観客に飽きさせずに見せるというか魅せるんだから凄いよなぁ。

 ましてや、自分なんてプロレス初心者だったわけだから。

 今のプロレスの方が技は多彩で見栄えは良いということは認めるけど、60分フルタイムをレスリングで魅了できるレスラーっているのかな?

 老いぼれの常か、ついつい、そういう思いに至ってしまう。

 正しいかどうかは置いといて、どれだけ時が流れようが、この日の試合が色褪せることのない名勝負だったことは疑う余地が無い。

 余談だが、船橋アナが「激しい激闘」と」連呼しているのに違和感を覚えたのもこの試合だったかな。

 定かじゃないけど(笑)。