昭和45年、ヤクルト球団は開幕に先立ち、帝国ホテルにて選手激励会を開催し華々しい門出を迎えた。

 一方で、プロ野球界において、シーズン前に、いわゆる”黒い霧”事件が発覚した。

 考え過ぎかもしれないが、もしも、こういう事件が一年もしくは二年前に起きるなり発覚をしていたら、清涼飲料の会社ヤクルトが球界への参入を決断しただろうか。

 まぁ、考えても仕方が無いのだが…。

 ともかく、ヤクルト球団はヤクルトアトムズとして、初のシーズンに臨むも、16連敗を喫するなどして最下位となったのは、偶然とはいえ、ちょっと複雑ではある。

 この年放送されていた魔法使いチャッピーに登場したプロ野球チームの球団名が「マケルトアトナイズ」だったのは偶然ではないだろう(笑)。

 ただ、後のスワローズの顔が入団してくる。

 オフのドラフトでは若松、そして杉浦を指名、翌年には安田が指名されている。

 そして47年は若松が首位打者、安田が防御率1位で新人王となり、ヤクルトアトムズとして初の最下位脱出を果たす。

 この年の零れ話として、神宮球場の人工芝計画というのがある。

 学生野球側の事情など、色々な状況が相まって頓挫するのだが、この時に神宮球場が人工芝球場になっていたら、プロ野球の歴史に、少しは影響を与えたのかなぁ。

 ついつい、そんな事を考えさせられる出来事ではある。

 ヤクルトアトムズ最終年は三原監督の三年目の集大成的な期待も大きかったようだけど、スタートで躓いたのが響き、安田の2年連続防御率1位、松岡の21勝などがあったものの、前年同様の4位に終わった。

 そして、シーズンも終わり11月が終わろうとした頃、荒川監督と広岡コーチの就任が発表されると共に、ニックネーム「スワローズ」の復活が発表された。

 ここにヤクルトスワローズが誕生するのである。