エレベーター、あるいはエスカレーターのように | 私との旅

私との旅

いつも静寂と共に。

エレベーターに乗っていた。

 

いつものようにボタンを押して下に降りる途中、子どもたちが騒いでいる階を通り過ぎた。

 

その時ハッとしたーーそんな風に現実を捉えればいいのだと。

 

つまり「現実」ーーここでは各階ーーに何が映ろうとも手を出さず、いちいちエレベーターから降りずに映像が流れるままにする。

 

するとエレベーターの移動と共に、「現実」の映像は自動的に流れ去っていく。

 

エレベーターの中のこっちは個室?で安全なまま、スルスルと上昇だか下降だかをして、ちゃんと目的地に向かう。

 

一度エレベーターに乗ったらそうなるのは知ってるから、ずっと安心安全で疑いもなく落ち着いて信頼したまま、ただ箱の外の流れる景色を眺めている。

 

 

別にエレベーターでなくとも、エスカレーターだって良い。

 

デパートのエスカレーターだと、例えがもっと解りやすいかも?

 

乗ってる間に色んな売り場、つまり「現実」のあらゆるシーンを通り過ぎる…売り場に惹かれるものがあれば降りるし、なければ通り過ぎる。

 

売り場の色々が気になって立ち止まってもいいし、サーっと通りすがるだけでもいい。

 

目の前に移し出される「現実」の映像が気になったら、好きなだけ執着して味わうのも良し、飽きたなら手放すのも良し。

 

私は今はただスルスルと上昇だけを望むから、すぐ手放して、更にその先へ向かう。

 

 

この捉え方をするようになってから、だんだん「現実はイリュージョン」「ただの映像」というのが腑に落ちてきた。

 

周波数が湧いて出ても「ただの映像だから、わざわざエレベーターを降りて覗きに行かなくてもよい」「幻なんだから、いちいち執着しなくてもよい」と、ニュートラルに淡々と周波数だけに集中して手放していける。

 

これがとっても楽で驚きびっくり

 

今までずっと「ただの映像」に色んなものをくっつけては騒いで大ごとにして、自分で問題を創り出していた。

 

でももうそれも飽きたし、新しい捉え方が気に入ったのでアッサリ乗り換えようと思うほっこり

 

手放した先が楽しみな今、更に更にこの感覚を突き詰めて、自分の変化も現実の変化も楽しんでいきたい。

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

八月ももう終わり、充実した日々を過ごされますようにヒマワリ